平成29年3月10日

関白 秀次公側室の辞世の句について

                           

zisenji57pngこれから文禄4159582日(旧暦:太陽暦では95日)京都三条河原で処刑された豊臣秀次の側室達が詠んだ辞世の句を書きます。

これより前に、秀次の一族公達並びに上臈達は徳永寿昌の邸に幽因(ゆうしょう)後、丹波亀山城に送られ、七月晦日に徳永邸に護送された。この間に命の短いことを知りつつ、幾つかの辞世の句を詠んだように思える。

後世、瑞泉寺・石崎縁起、瑞泉寺絵縁起、聚楽物語、太閤さま軍記のうち、甫庵太閤記等々に残されていた。
 その中で2つを参考文献として

雑史集 国民文庫刊行会1921年発行 

「太閤記」小瀬甫庵1625年全巻22巻(現代訳1979年吉田豊著)にあった句を書きます。

注:先首 雑史集 後首 太閤記  注:番号は処刑順 

注:法名は慶長16年(1611年)誓願寺の中興教山上人が授与(瑞泉寺住職の著作本から)

 

ここで、当日82日の悲惨な様子を書いておきます。

 

秀次の若君、上臈、婦人たちを誅(ちゅう:成敗する)すべきとの上使が立ち、いやが上にも悲しみは増した。

検使には石田治部少輔、増田右衛門尉をはじめ、橋より西の片原に、布皮敷いて並び居た。
彼らは若君達を車に乗せ、上臈達を警護して、上京を引き下り、一条二条を引き下り、三条の河原へと懸った。

橋のあたりまで着くと、検使たちが車の前後に立ち「先ず若君達を害し奉れ」と下知した。
青侍・雑兵共が走り寄り、玉のような若君達を車から抱き下ろし、変わり果てた父秀次の首を見せた。

仙千代丸は冷静にこれを見て、「こは何と成らせられるや」と呟き、嗚呼と嘆いた。
その姿に母上たちだけでなく、見物の貴賎男女、警護の武士に至るまで前後を忘れともに涙に咽んだ。しかし太刀取りの武士は「心弱くては叶うまじ」と目を塞ぎ、心を太刀だけに集中して仙千代丸達を害した。この時彼らの母上たちは、人目も恥ずかしさも忘れ声を上げた
「どうして私を先に殺さないのか!急ぎ我を殺せ!我を害せよ!」

そう、仙千代丸の死骸に抱きついて伏し嘆いた。
それより夫以下の目録に合わせ、順に座らせた。


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1
番目 継室(正室)今出川右大臣菊亭春季の娘 上臈 一の台 34歳 
  法名 徳法院殿誓威大姉(とくほういんでんせいいだいし)  
  『長らへて ありふる程を 浮世ぞと 思えへばのこる 言の葉もなし』

【心にも あらぬ恨みは ぬれぎぬの 妻ゆゑかかる 身と成りにけり】

 (御屋形様が太閤殿下をお恨みいたすなど、心にもないことです。けれどもそんな濡れ衣でも、衣が濡らされた時には褄にも水が掛かってしまうのと同じように、御屋形様の妻である私もまたこのように刑場に消える身となってしまいました。)

 

2番目 四条隆昌(三位中将殿)の娘 小上掾@お妻の前(おつまの方) 16

  法名 朗月院殿誓曜大姉(ろうげついんでんせいよう)

  『朝顔の 日陰待つ間の 花に置く 露より脆き(もろ) 身をば惜まじ』

  【故もなき 罪にあふみの かがみ山 くもれる御代の しるしなりけり】

 (理由もない罪に問われている私ですが、近江の鏡山に雲がかかっているのも、鏡が曇ったさかしまな御代の証です。)

 

3番目 摂津国小浜の僧 毫摂(ごうしょう)寺善助の娘 中納言局 お亀の前 33歳 

長女槿(むくげ・キン)姫9歳 処刑

 法名 絶妙院殿誓超大姉(せつみょう せいちょう)露月院殿誓槿大童女(ろげつ せいきん)

   『頼みつる 彌陀の教えの 違はずば 導き給へ 愚なる身を』

   【時分ぬ 無常の風の さそひ来て 花ももみぢも 散にけるかな】 

 (人の世は定めのない無常といいますが、無常の風というものは季節を決めずに吹いてきます。このたびはその風に誘われて美しき桜も紅葉もともに散ってしまいます。)

 

4番目 尾張国 日比野下野守の娘 お和子の前(おわこの方) 18歳 長男 仙千代丸 6歳

  法名 天運院殿誓暉大姉(てんうん せいき)  暁覚院伝誓運大童子(ぎょうかく せいき)

   『後の世を かけし縁の 頼みみて あとをしたひゆく 死出の山道』

   【記述無し】

 

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5番目 尾張国 山口少雲の娘 お辰の前 19歳 次男 百丸 4歳 
法名 容心院殿誓顔大姉(ようしんいんでんせいがん)  無上院殿誓道大童子(むじょういんでんせいどう)


『夫(つま)や子に 誘われて 行く道なれば 何をか後に 思ひ残さん』

【かぎりあれや なにを恨みん から衣 うつつに来り うつつにぞ去る】

(もとより限りあるのが人の世でしょう。こういう憂き目にあったからといって何を恨みましょうか。私など夢のうちに栄華を極め、夢のうちに消えていくだけなのですから。)

 

 

6番目 美濃国 竹中貞右衛門尉重定の娘 お長の前(お知屋) 18歳 四男 土丸 1

 法名 珠月院殿誓光大姉(しゅげつ せいこう) 普現院殿誓済大童子(ふげん せいさい)

zuisenji4  『うつつとは 更に思はぬ 世の中を 一夜の夢や 今覚めぬらん』

  【時知らぬ 花のあらしに 誘はれて 残らぬ身とぞ なりにけるかな】

 (季節を知らない風によって多くの花々が散ってゆきます。私もまた他の皆様方とともに、何も残さない身の上となってしまいました。)

さらに、
『さかりなる こずえの花は 散りはてて  消えのこりける 世の中ぞ憂き』   と太閤さま軍記にはある。

 

注 写真は瑞泉寺にあるお長の供養塔

7番目 北野松梅院の娘 阿左古の前(お佐子の前)19歳 三男 十丸 3歳

 法名 覚徹院殿誓正大姉(かくてつ せいしょう)普照院殿誓旭大童子(ふしょう せいきょく)

『一筋に 大悲大慈の 影たのむ こころの月の いかでくもらん』

   【残しおく かぞいろの上に 思ふにも さきだつ身より わきてかなしき】

  (残していく父と母の身の上を思うと、先立つ我が身よりもいっそう悲しく思われます。)

 

8番目 近江国 多羅尾彦七の娘 お萬の前 23歳 

  法名 済縁院殿誓普大師(さいえんいんでんせいふ)

   『いづくとも 知らぬ闇道に 迷ふ身を 導き給へ 南無阿弥陀仏』

   【記述なし】 


9
番目 尾張国 堀田次郎右衛門尉の娘 お輿免の前(およめの方) 26
  法名 竟回院殿誓究大師(きょうかいいんでんせいきゅう)

   『ときおける 法(のり)の教の 道なれば 独り行くとも 迷ふべきかは』

   【千代までも かはらじとこそ 思しに うつりにけりな 夢を見しまに】

 (いつまでも変わらないと思っていたのに、すべては変わってしまいました、私が夢を見ていた間に。)

 

10番目 美濃国 日比野下野守の娘 お阿子の前 22(30)歳 法華経の信者
法名 照遠院殿誓恵大師(しょうおんいんでんせいえ)

   『妙なれや 法(のり)の蓮(はちす)の 花のえんに ひかれ行く身は 頼もしきかな』 

   【ぬれ衣おきし 妻ゆゑに しらいとの 怪しや先と あとにたちぬる】

 (濡れ衣を着せられた御屋形様の妻であるがため、私めには何も知らされておりません。知る知らぬの縁でいうと、白糸すなわち生糸が織りなす不思議のようなものなのでしょうか、先に逝かれた御屋形様をすぐ後より追うこととなりました。)

 

11番目 出羽国 最上義光の次女 お伊萬の前(駒姫)15歳 
法名 諦雲院殿誓聴大姉(たいうんいんでんせいちょう)

   『罪をきる 彌陀のつるぎに かかる身の 何か五つの 障りあるべき』 

   【うつつとも 夢とも知らぬ 世の中に すまでうかべる 白川の水】

 (私が生きてきたのは御屋形様のありがたいお心ざしに満たされたところであるとともに、言われのない罪に貶められる濁った場所でした。夢か現実かも分からないそんな世の中に暮らすことなく、私も清き白川の水を求めて返ってゆきます。)

 

12番目 京 秋葉(秋庭)氏の娘 お世智の前(あぜち){歌人}35
法名 行覚院殿誓梵大姉(ぎょうかくいんでんせいぼん)

   『冥土にて 君や待つらん うつつ共 夢ともわかず 面影にたつ』

   【にごる世の 白川の水に さそはれて そこのみくづと なるぞかなしき】

 (白川の水は清く美しいと聞きます。濁り多き世の中では白川の水に惹かれはするものの、美しい水に浸ると引き替えに水底の藻屑となってしまうのも悲しいものです。)

 

13番目 豊前国 本郷主膳(饗膳の意味)の娘(または女房の姪) 小少将の前「女性の通称」 24

  法名 囲本院殿誓固大姉(いほんいんでんせいご)

   『ながらへば 猶も憂目を 三津瀬川 渡りを急げ 君やまつらん』

   【記述なし】

 

14番目 河内国 岡本彦左衛門の母、左衛門の後 38歳 侍女{琵琶の弾じ琴の名人で源氏物語の師匠}
法名 楽自院殿誓音大姉(らくじいんでんせいおん)

   『しばしばの 憂世のゆめの 覚め果てて これぞうつつの 佛とはなる』

   【中々に 花のかずには あらねども つねなき風に さそはれにけり】

  (私めは御屋形様のお側にはべる麗しい方々と並ぶものではありませぬが、普通ではない激しい風にあって花々が散るように、一緒に散らされてしまいます。)

15番目 播州 村井善右衛門の妹 右衛門の後 35歳 侍女

  法名 言廊院殿誓讃大姉(ごんかくいんでんせいさん)

『火の家に 何か心の 留まるべき 涼しき道に いざやいそがん』

   【とても行く みだの御国へ いそげただ 御法の船の さをなぐるまに】

 (これから向かうことになる阿弥陀の国へどうあっても急いでもらいたいものです。救済の船の棹が投げられるとともに、浄土に到るわけにはいかないのでしょうか。)

16番目 妙心寺尼(御伽婆)めうしんの方 68歳 老女

  法名 妙心院殿誓忍大姉(みょうしんいんでんせいにん)

『先立ちし 人をしるべに ゆく道の 迷ひをてらせ 山の端の月』

   【記述なし】 

  

17番目 父は尾張の何其 母は一の台の連れ子 お宮の前 13

  法名 顕月院殿誓赫大姉(けんげついんでんせいかく)

『秋といへば まだ色ならぬ うらば迄 誘ひ行くらん しでの山風』

【うきはただ おや子の わかれと聞しかど 同じみちにし 行ぞうれしき】

  (辛いことは親子の別れと聞いておりましたが、このたびは母上と同じ道を行くことができるのが嬉しうございます。)

 

18番目 摂津の国 伊丹兵庫頭正親の娘 お菊の前 1416)歳

  法名 悦含院殿誓心大姉(えつがんいんでんせいしん)

『秋風に 誘われて 散る露よりも もろきいのちを 惜みやはせん』

   先立つも おくるるも みな夢なれや 空より出て 空よりおさまる】

 (先立つのも遅れるのもすべて夢なのでしょう、因縁の織りなす仮の姿より生まれて元の場所に収まるのです。)

 

19番目 尾張国 坪内市左衛門の娘 お喝食(おかつしき)の前(おなあの前)1519)歳 

  法名 量徳院殿誓難大姉(りょうとくいんでんせいなん)

『闇路をも 迷はでゆかん しでの山 澄める心の 月をしるべに』

   いかにとも 何うらみけん 難波がた 良し悪しもただ 夢の世の中

 (どうしようかと言ってもいったい何を恨みましょう、「何うらむ」の何の縁で言う難波潟のヨシやアシではないけれど、物事の良し悪しはとにかく夢の中のことなのです。)


20
番目 右衛門の督(ごう)殿の娘  お松の前 12

  法名 香気院殿誓薫大姉(こうげいんでんせいくん)

『残るとも 長らへ果てん 憂き世かは 遂には越ゆる しでの山道』

   記述なし】

 

21番目 丹波国 由良藩主 別所吉治の客人の娘 お佐伊の前 15歳 
生国 近江 おきいの方  年齢不明

法名 煖和院殿誓冷大姉(だんわいんでんせいりょう)

末(すえ)の露 元の雫も 消えかへり 同じながれの 波のうたかた

咲けば散る 花の秋風 立ちにけり たまりもあへぬ 萩がえの露
(咲けば散るのが花の命運です。そんな花にむかって激しい秋風がたつと、ひとたまりもなく消えてしまうのは萩の枝にかかる一滴の露です。)

22番目 近江国 鯰江権之介の娘 お古保の前 15歳(19歳)

法名 順音院殿誓冷大姉(じゅんおんいんでんせいわ)
さとれるも 迷ひある身も 隔てなき 彌陀の教を 深く頼まむ』
【我をただ みだの誓ひも 頼まじな 出る月日の 入りにまかせて

(私は阿弥陀の誓いも当てにするつもりはありません。月や太陽が昇ったあとにまた沈んでゆくように、このたびのことは自然のごく当たり前のことなのです。)


23番目 越前国 木村常陸の守重茲(しげこれ)が呼んだ女郎 お仮名の前 17

法名 清観院殿誓白大姉(せいかんいんでんせいはく)
声夢とみの 思ふが中に 幻の 身は消えて行く あわれ世の中』 
【記述なし

24番目 お竹の前 (元は捨て子) 18
  法名 応両院殿誓威大姉(おうりょういんでんせいい)
   
来りつる かたもなければ 行く末も 知らぬ心の 佛とぞなる』
   【夢にしも 知らぬ憂き世に 生れ来て 又しらぬ世に 帰るべらなり

 (夢に知ることもなかった憂き世に生まれ来て、またも知らぬ世に帰って行くのでしょう。)
 
25番目 京 古川主膳(饗膳の意味)の娘 お愛の前 法華の信者 23
  法名 勝範院殿誓最大姉(しょうはんいんでんせいさい)
   
草も木も 皆佛ぞと 聞く時は 愚かなる身も たのもしきかな』
    【おもはずも すみぞめ衣  身に添いて かけてぞたのむ 同じはちすに
  (予想もしなかったことに墨染め衣を身にまとうこととなり、心から願うのは御屋形様と同じ蓮に生まれ変わることです。)

26番目 京 大原三河の守の娘 お藤の前 21(25)
  法名 離夢院殿誓感大姉(りむいんでんせいかん)
   尋ね行く 佛の御名を しるべなる 道の迷ひの 晴れ渡る空』
   いかにせん 親にしあはぬ うらみこそ うき世の外の さはりなりけれ
   (どうしようか、親に会えない恨みこそが現世の外にも繋がる障碍です。)

27番目 斎藤吉兵衛の娘 お牧の前 16
  法名 達故院殿誓通大姉(たつこいんでんせいつう)
   急げ只 御法の船の 出でぬ間に 乗り遅れなば 誰か頼まん』
   【妻故に きえぬる身にし かなしきは のこれる母の さこそと思へば 
  (御屋形様の妻であるがために、この身が消えてしまうのはやむを得ないと思います。しかし、悲しいのは母が悲しみを抱えたまま後に残されることです。)

28
番目 尾張国 大島次郎左衛門親嵩(ちかたか)の娘 秀次の従妹 お国の前(お園の前)22
  法名 本植院殿誓徳大姉(ほんしょくいんでんせいとく)
   
名ばかりを 暫しこの世に 残しつつ 身は帰りゆく 元の雲水』
   【君ゆゑに なみだがはらの 白川や 思ひの淵に しづむかなしき
(御屋形様を思うゆえに涙が溢れてまいります。涙川ならぬ、この加茂の河原で御屋形様の潔白を訴えても報われず、追慕の思いに沈むのが悲しい限りです。)

29番目 出自不明 お須儀の前(お杉の前) 19歳 (肺病に悩み尼に)
  法名 微吹院殿誓風大姉(びすいいんでんせいふう)
   すてられし 身にも縁や 残るらん あとしたひ行く しでの山越え』
   記述なし

30番目 出自不明 お阿屋(おあや)(御すゑの人)(御末衆)31
  法名 空立誓住清信女(くりゅせいじゅうせいしんにょ)
   一聲に こころの月の 雲はるる 佛の御名を となへてぞ行く』
   記述なし

31
番目 美濃の国 丸毛不心斎の女房 東殿 61歳    
  法名 然交誓湛清信女(ねんこうせいたんせいしんにょ)
   
記述なし
   【夢のまに 六十路あまりの 秋にあひて なにかうき世に 思ひのこさむ
   (あっという間に六十回を余す秋に会って参りました。この年になっていったいどのような未練を、こんなつらい世の中に残すというのでしょうか

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32番目 お参の前 (御すゑの女房)
 
法名 通岸誓達清信女(つがんせいたつせいしんにょ)

33番目 津保美 (不明)
 
法名 最澄誓智清信女(さいちょうせいちせいしんにょ)

34番目 お知保 (不明、乳母?)
 
法名 開豁誓法清信女(かいかつせいほうせいしんにょ)

文禄482日の夜に何者かの仕業か左の落首が貼られた。
「天下は天下の点かなり。関白家の罪は関白家の例を引き行はせられるべき事、もっとも理に正当なるべきに、平人の妻子などのように今日の狼藉はははなはだ以って自由なり。行く末めでたかるべき政道にあらず。嗚呼、因果のほど御用心候へ、御用心候へ。

「世の中に 不昧因果の 小車や よしあしともに めぐりはてぬる」
(豊臣秀次公一族と瑞泉寺の本から)


以下の太閤記から%句は雑史集から判明できなっかた句です。

**不明1 美濃国 武藤長門守の娘 おさなの方 16
  
消えてゆく 身はなかなかに 夢なれや 残れる親の さぞなかなしき
(消えてゆく私自身は、かえって夢のようにぼんやりとした気持ちとなっておりますが、この世に残る親はさぞや悲しい思いに満たされていることでしょう。)

**不明2 生国 越前 少将の方 年齢不明
  あめつちの そのあひだより 生まれきて おなじ道にし 帰るべらなり 
  (人はみな、天地の間に生まれて、また同じところにもどってゆくのでしょう。)

**不明3 
上賀茂 岡本美濃守の娘 お虎の方 24
  
限りある 身をしる雨の 濡れ衣よ そらも恨みじ 人もとがめじ
(雨が降って衣が濡れるのが当たり前なら、人の命に限りがあるのもまた当たり前でしょう。それを知っているので、たとえそれが濡れ衣だといっても、雨を降らした空を恨みはしないのと同様に、わたくしは他人様に恨みを向けることはいたしますまい。)

**不明4 和泉国 淡輪隆重(たんのわたかしげ)の娘 お小督(ここ)の方 21歳 三女お菊(1ケ月)は助命 
  
生まれきて またかへるこそ みちなれや 雲のゆききや いともかしこし
(人の世に生まれ落ちて再び戻ってゆくのが御仏の教えであるのなら、生じては消える雲のありようはなんともありがたいものでしょう。)

**
不明5 最上衆其の娘 おこちゃの方 20
  濡れ衣を きつつなれに しつまゆゑ 身は白川の 淡と消えぬるの
(御屋形様に濡れ衣が着せられたのであれば、衣に馴染む褄のごとく、妻として御屋形様のお近くにおいていただいておりましたゆえ  に、私も清い白川に浮かぶ儚い沫のごとく消えてゆきます。)

**不明6 近江衆 高橋何某の娘 おみやの方 43歳 侍女
  
何事の とがにあふみの 今なれや むしもあはれを なきそへにけり
(いったいこのわたくしはどういう咎めにあったのでしょうか。近江の今という名前ではありますが、罪にあった身の今この時となっては、虫の声も悲哀を添えているように聞こえます。)

受命された人物
若御前 正室 池田忠興の娘
お菊  お小督(ここ)の娘、女子 (1ケ月)
隆清院(名は不明)(〜1633年) 真田信繁(幸村)の側室、父は豊臣秀次。母は秀次の継室(正室)・一の台(菊亭晴季の娘)
          子は御田の方(幼名なお・信繁の五女:1604年誕生)、幸信(信繁の三男1615714日生)
しかし、瑞泉寺名誉住職によれば父が豊臣秀次とすると隆清院は11歳で幼名なおを出産したことになり疑問が残る。一の台の二人目の連れ子としての説をお持ちです。

この原稿を書くにあたり、豊臣秀次公の墓所京都瑞泉寺名誉住職から親切対寧なご指導を賜りましたことをここに記す。

 

 

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