< 水 の 流 れ> (文部省教員海外派遣)NO3
<オーストラリア:パース・フリーマントル編>
N032:9月20日<12日目その5>(火:晴)【水の流れ】緊張していた学校訪問を終わり、1班の先生を別の学校で乗せて、バスでホテルへ戻りました。部屋で一度、シャワーを浴びた後、数年の仲間と一緒にタクシーでパース市内の「スナック、京都」という名のところへ夕食にでかけました。入ってみると、「いらっしゃい」「こんばんは」と日本語が返ってきました。働いているのは、若い日本人のようです。「とりあえず、ビール!」一斉に注文しましたら、「すみません、うちはお酒を出すことができないのです。」「どうして、スナックでしょう」「ここは、お酒を出す場合、許可が必要なんです。でも、持ち込みは出来るんです。それで、お客さんがどうしてもとおっしゃるのでしたら、今から、注文しまして、お客さんが買われたということで、ビールをお届けさせます。ちょっと、待っていただけますか」そういう手があるなら、そうしたいですね。後は、一品料理を注文しました。お刺身の盛り合わせ、天ぷら、寿司、豆腐、やっこなど、異国の地であることを忘れるように次つぎと安心して、注文してしまったのです。その間に、ビール一箱を担いで人が入ってきました。「乾杯!」これで、今日の疲れが取れそうです。帰りは、また、タクシーで戻りました。明日は、学校訪問の後、夜は、返礼レセプションです。
N031:9月20日<12日目その4>(火:晴)【水の流れ】[Winter Fold Primary School] 1年生(6歳)から7年生(12歳)までの小学生250名と44名の幼稚園児の学ぶ公立の学校であった。幼稚園は、義務教育ではないが、この学校のように、併設しているところが多い。学校へ到着すると、明るい笑顔で手をふって迎えてくれた。ハスリング校長先生が、学校について力強く説明してくださったことが印象に残った。12名の職員(パートが2名)の方々も、優しく対応してくださった。環境面については、この学校はとにかく広い。校舎は、各学年ごとに1階建てで立っている。そして、その前には、それぞれバスケットコートほどの中庭がある。緑の広い運動場でのびのびとした子供たちが遊んでおり、オーストラリアの雄大さをここでも感じた。幼稚園、6・7年生、3年生、そして、1年生の授業を参観した。6・7年生の学級は、2つの学年を能力別に2つに分けて編成してあった。(これは、この学校の独自の方法だそうだ)授業を参観したクラスは、優秀な方のクラスで6年生が17名、7年生が14名で、国語の学習をしていた。6年生と7年生は違った教材を用いて、学習が進められていた。日本の小学校と同じように、担任の先生が、美術以外の教科は全部ひとりで教えるということであった。また、3年生の学級でも、個々の能力に応じた指導がなされていた。英語のスペルを書く練習が行われていたが、習熟度の遅れている生徒が(この時間は5名)については、その時間だけ別の場所でアシスタントの先生によって、個別指導を受けていた。個別指導を受けている生徒が、他の生徒から差別を受けるというような問題も現在のところは起きていないということであった。また、こうした能力に応じた個別指導に対して、親から学校に苦情を言ってくるといったこともないと校長先生が話してくださった。このときの</FONT><A HREF="../jyugyo/start2.html"><FONT FACE="MS 明朝" LANG="JA">[Winter Fold Primary School]の生徒との写真</FONT></A><FONT FACE="MS 明朝" LANG="JA">です。太郎さんが最も気に入っている記念写真です。<br>
さらに、校長がいわく”この学校で最も封建的で頑固な教師”という教室の正面壁の上に掲げられた掲示物です。<br>
CLASSROOM RULES! No1.The teacher is always right. <br>
NO2.If the teacher makes an error,see Rule No1! これには、太郎さん自身も驚き、笑いがこみ上げてきた。<br>
N030:9月20日<12日目その3>(火:晴)【水の流れ】[South Fremantle senior High School] 玄関前は広くて美しい芝生が印象的な公立の中・高等学校でした。玄関を入るとすぐ右手に事務所があり、そこで、校長先生がにこやかな絵顔で、出迎えてくださった。学校へ到着したのが13時10分頃で、生徒が、中庭で昼食を食べていた。服装が私服なので自由な感じを受けた。話しかけるとごく自然に私達に接してくれた。海洋学に力を入れており、帆船をイメージした校章が、とてもすっきりとさわやかな印象を与えてくれた。とにかく広い。キャンパスの面積が10haもあるという。1周400Mのとれる芝のグランド、その他にいくつもある広い中庭、50Mプール、体育館など素晴らしい施設である。専門の庭師が2人いて、清掃のスタッフも数名いる。校舎は、有名なデザイナーが考案したもので、校長先生の誇りに思って見えるようであった。全校生徒は、780名。8年生から12年生までがこの学校で学んでいる。義務教育は、10年生(15歳)までである。この学校は、いろいろな民族の生徒(29か国)が学んでおり、キャンパスで話されている言葉は、30か国語ぐらいあるという説明を受けた。そのために、第2外国語としての集中英語の授業が大切にされている。選択の授業を参観させて頂いたが、どのクラスも十数名程度の生徒数で、ひとりひとりの生徒への見届けがよくできていると感じた。どうしたら勉強が好きになるか、どうしたらより楽しく学校へ登校させられるようになるかが、現在の問題点だと副校長先生が話してくださった。<br>
ここで、生徒とのディスカッションの時がありました。ある生徒(生徒会長?)が言っていたことです。「本校には、日本で言われるような校則はありません。ただ、学校と生徒の約束事としては、二つあります。1つは、毎日休まず学校へ来て勉強すること。もう1つは、個人の人権を尊重し、他人に迷惑の掛けるような事をしないこと。この二つだけです」と。もし、日本でこのような校則だけなら、生徒は何と思うでしょう。いずれにしても、自由なお国からでした。<br>
<N029:9月20日<12日目その2>(火:晴)【水の流れ】オーストラリアでの学校訪問が始まった。最初、12の学校を見て欲しいという連絡でした。「おみやげ」の岐阜名産、蛇の目傘が足りません。各自持参のおみやげの中で何かありませんかということで、扇子や人形のどを用意しました。結局、1日目と2日目の中学校が同じ学校へ行くということで、8校分でよいことになりました。視察は4つの班ごとに別れて行くことになりました。<br>
1日目、今日の午前中はフリーマントルにあるこのあたりの地区の教育委員会、メルビル地区教育オフィス訪問です。思ったより狭くて窮屈な平屋の建物がいくつかあります。中に入ると、まず子供たちの絵や作品がたくさん飾られているのが目を引きます。それに教材センターがあります。授業に使う図書から算数の教材セット、理科の解剖模型、単元の掲示物が袋にはいって並んでいます。別の建物には、研修室があります。「研修内容は、先生方の要望で決めています。」という話でしたが、丁度、特殊教育の先生方が研修中でした。4つのテーブルに6人ほどのグループを作って、テーマについてディスカッションの最中でした。日本で言えば、指導主事ですが、指導の先生が1人おられます。その中で、男子教員は1人だけです。教育長さんも、副教育長さんも、教育オフィスで働いている人はほとんど女性でした。<br>
視察後は、場所を変えてメルビル地区の教育の講話をしますということでバスで移動です。素晴らしいヨットハーバーの会館が会場です。窓から見える港には、ずらりと高価なヨットが並んでいました。講話の途中で、突然教育長さんがはるか海上を指さして説明されました。「今、帆船が見えます。昔、オーストラリアを発見したときの船を復元しました。試験帆を張った大きな帆船が遠くに浮かんでいました。講話の中で、副教育長のスーさんが「私の歩んできた道」を話してくださった。途中で海外留学をした話。10年勤めると3ヶ月の有給休暇がもらえるという話でして、オーストラリアの先生がうらやましくなる話でした。昼食は、海岸のレストラン。きれいな海の向こうにインドが、アジア大陸があるとは思えません。次回は、午後の学校訪問を書きます。<br>
N028:9月20日<12日目その1>(火:晴)9:00 ホテル出発 9:30 メリビル教育局訪問・施設見学 10:20 教育局の役割説明及び質疑応答 12:00 フリーマントルにて昼食 13:00 班ごとにジョンカートン・サウスフリーマントル・メルビル・アプルクロスの各高校を訪問・学校参観と質疑・応答 16:45 パースのホテル着 <br>
【所感】フリーマントルに向かう車窓から、レンガ造りの赤色の家並みとインド洋の澄んだ青色が目に飛び込んでくる。教育局主事のノーレン・レーベスさんのにこやかな笑顔に迎えられ、各施設を見学した。教育事務所と研究所が一体化され、効率的に教育普及及び活動が行われているのに感心した。また、教職員への有給休暇や福利厚生事業の内容を聞き、一同思わず溜息をついた。午後より4つの高校を訪問。どの学校も施設・設備が充実していることと、生徒の自主性を大切にした教育活動が展開されていることを強く感じた一日であった。<br>
<N027:9月19日<11日目その5>【水の流れ】2000年1月12日に次のように書きました。「今年のアメリカン・カップに挑戦艇を決めるヴィトンカップ準決勝を、ニュージーランドで行われています。ニッポン・チャレンジ艇は4勝4敗で第3位にいます。決勝進出は上位2艇まで。今日、最大の強敵(アメリカン・ワン)と対戦します。この結果いかんで決まります。是非、勝ってもらいたいですね。」最大の強敵(アメリカン・ワン)にわずかな秒数で敗れまして、結局、この準決勝は4位終わり、上位2チームには入りませんでした。話は変わって、パースの夜のことです。気のむいた連中と一緒に食堂街へでかけました。タクシーを降りて、レストランを見て歩きました。中華料理、上海料理、と高級そうなレストランがいろいろと並んでいました。マレーシア料理の店もありましたが、さすがに一人の入りませんでした。「これは安い。19.8$ですよ」海鮮料理の店の前にあるメニューを見て添乗員さんが言いました。「よし、ここで食べよう」6人が入りました。何と英会話とは無縁の者ばかりが集まってしまいました。注文を取りにきたボーイの手を引いて、さきほどの入り口のメニューまで連れていきます。「NO1、これはランチメニューです」なるほど、よく見ればランチと書いてあります。こうなればメニューをもらって決めるしかありません。食べられないものが出ることはないのですから、適当に注文しました。ところが、「これ」といってたのむと、なんだかんだ質問をしてきます。焼き方なのか、味付けなのか、とにかくどっちかと聞くのですが、どんな料理かも分からないものにに答えられるわけがありません。結局、ロブスター料理と新鮮野菜などがきました。お腹がすいていたいたこともあって、おいしい食事でした。店をでて、街を歩くことにしました。ファーストフードの店に入りました。ピンクのエプロン姿のアルバイト風の女子店員がカンターの中で張り切って働いています。「ブラックコーヒー」必ず、ソフトかブラックかを質問します。ソフトにはミルクが入っています。こちらではフレッシュがなくて牛乳を入れるようです。一人づつ代金を払いました。最後の太郎さんの番になりました。あいにく細かいお金がないからと10$を出しました。「はい、これだけね」ピンクの彼女が返してくれたのは6.5$・・・?太郎さんはコーヒーを飲みながら考えました。みんなのコーヒーは、1.6$・・・
なぜ、私だけ3.5$払わなければならないの?ブラックでないから、ソフトがそんあに高いのか?・・・でたコーヒーを見ても、飲んでみても、3.5$とは思えない。あの子が間違えたに違いない。なんて言えばいいのだろう。さて、困ってしまいました。「まぁー、あきらめて彼女と一緒に写真を撮ったら?」「それ!いいね」と太郎さんは納得して、一緒に写真におさまりました。その後、タクシーでホテルに戻って、パースの一日が終わりました。<br>
<N026:9月19日<11日目その4>【水の流れ】海外ガイドブックを読んで書きます。「キングス・パーク」:パースを代表する大自然公園。市の西側に広がり、面積は40ha。日本のディズニーランドの約5倍に相当する。ビューポイントは、戦争記念塔(第一次世界大戦)のある場所。ここからスワン川を挟んでのパース市街を眺めるが一番美しいといわれています。11月には、いっせいにワイルドフラワーが咲き、美しい景観となる。パース駅からタクシーで5分。「モンガー湖」:西オーストラリア州のシンボル・黒鳥(Balack Swan)が群れをなしている湖。黒鳥は渡り鳥ではないので、1年中ここにいる。野生だが、人々に大切にされているため、警戒心がなく近寄ってくる。訪れる人は、パンを持っていき、餌付けしている。上手にあげないと、くちばしに指をはさまれたり、中には、かなり強引にパンを奪い取ろうとするお行儀の悪いものもいたりするので、注意しよう。市の中心からタクシーで15分。<br>
「フリーマントル」:フリーマントルはパースの南19kmに位置し、1829年、スワン川がインド洋に注ぐ河口に建設された港町。今なお、開拓時代の面影を残している街です。南極に一番近い寄港地として有名で、日本の南極観測船「しらせ」もこの港に立ち寄る。フリーマントル港と名古屋港は姉妹港関係で、フリーマントル市と神奈川県・横須賀市とは姉妹都市関係で結ばれている。<br>
また、1987年、世界最大のヨットレース、アメリカン・カップが開催されたことでも有名。話を、今年のアメリカン・カップに挑戦艇を決めるヴィトンカップ準決勝を、ニュージーランドで行われています。ニッポン・チャレンジ艇は4勝4敗で第3位にいます。決勝進出は上位2艇まで。今日、最大の強敵(アメリカン・ワン)と対戦します。この結果いかんで決まります。是非、勝ってもらいたいですね。
N026:9月19日<11日目その3>【水の流れ】『パオイニアワールド』の施設の中には、もう1つ驚く建物がありました。それは、この土地の子供達が通っている小学校です。日本の明治村にも学校の建物がありますが、その校舎で実際に授業をしている姿を創造してください。観光客が通っていく道のすぐ横の教室では、5、6人の子供が先生と授業をしています。カランカランと鐘がなると、休み時間のようです。私達が見学している横を遊びで走っていきました。『パオイニアワールド』を離れ、レストランへ向かいました。その途中、日本からの添乗員方が明日の予定を連絡された。「明日は9時にホテルを出発します。そして、9時半から11時半まで教育委員会訪問。昼食後、班別に4つのコースに分かれて学校訪問をします。その際に、通訳として、ユキコさん、ヨシエさん、ジュンコさん、そしてE・Tさんが、それぞれの班に同行されます」。バスはパースの中心街に入ってきました。E・Tさん「ここからは、Perthの高層ビル群が見えます。最も高いものは60階建ての商工会議所、第2位は州立銀行の50階建。」交差点を通過するたびに、黄色い箱が見える。E・Tさん「あの箱がネズミ取りです」。The Hyart Center の前に到着した。その向かいにある中華飯店に入る。店の名前は「龍園酒家」という。フカヒレスープから始まり、鶏肉のミンチと野菜を炒めたものがやってきた。これをレタスにはさんで食べる。次に、大皿に盛られたチャ−ハンと焼き肉が来る。また、八宝菜や牛肉もあった。最後に果物。スイカ、オレンジ、ライチーでした。バスは、スワン川のほとりに広がる「Kings Park]にやってきた。ここの丘から眺めるスワン川は、まるでどこかの海の入り江のようです。季節は早春です。アカシヤ科の「ミモザ」は黄色い花。「バンクシャー」「ブラックボーイ」、オーストラリアの国花は「ゴールデンラトル」が咲いていました。バスはインド洋を眺めながら走っていました。エメラルドグリーンというのがピッタシな青色です。モンガー湖にやってきました。E・Tさんに「スワン川にいなくなった黒鳥がこちらに移ってきました。」と言われ、我々に水鳥のエサである食パンをくださった。水辺に向かって歩いて行った。黒鳥のすごい数です。人に慣れきっている黒鳥は、長い首を思い切って伸ばして、グアーグアーと声を出しながら赤い顔を近づけてくる。パンを差し出すと、手にまで噛みついてくる。黒鳥が食べ損ねたパンは下に落ちて、カモメが食べていた。バスに戻る時に、E・Tさんから「黒鳥と紙幣」について話を聞いた。「黒鳥はオーストラリアの国鳥です。10$紙幣のすかしになっています。実は、オーストラリアのお札は、紙ではなくてプラスチックでできています。世界で唯一のプラスチック紙幣なのです。」これで、知識が増えたようです。プラスチック製だからこんなに透き通ったすかしができています。お札の秘密が分かりました。ホテルへの途中、ロンドンコートと呼ばれている商店街で買い物をして帰ることになる。母国イギリスへの望郷を込めて、時計台ビックベンの複製がありました。滞在中、この大きな時計台が1つの目印になっていきました。免税店「オパールを見ましたが、値段は相当高いです。でも、日本でまっている妻に輝きの色合いと値段を見計らって1つネックレスをおみあげとしました。今日は、ここまで。<br>
N025:9月19日<11日目その2>【水の流れ】さて、今日から自分で朝食をとらなければなりません。日本にいたときから、自分で作ったことのない私には、やはりホテルの外へファースト・フード店を見つけに出ました。幸いにも近くにありまして、「サンドイッチとソフトドリンク」で5日間同じメニューでした。ちょっと冒険して、いろいろな物を注文すればと、後悔する。9時45分にホテルを出て、バスにて市内観光をする。昨夜と同じガイドのE・Tさんが案内です。「パースの街は、住宅地区と商業地区とがはっきりしています。州政府の方針でこうなっています。住宅地区には基本的には商店がありません。自動販売機もありません。<br>
住宅区ごとに、小さな食料品店が一カ所ずつ設置されていますが、大きな買い物はそこでは無理です。私はミルク1本買うにも、自動車ででかけなければなりません。」だから、ここに来て自動販売機をみかけません。道路沿いに自動車のディーラーや修理工場が立ち並んでいます。また、家具屋さんがかたまっていたりします。「そろそろ住宅区に入ります。こちらの民家は平屋が多いです。お金持ちは、スワン川沿いに2階建ての家をもち、テラスを持つことが、お金持ちの家の条件になっています。」さらに、ガイドさんの説明が続きます。「こちらは、日本に比べると物価は安いですが、公共料金は割高です。電気とか水道とはガス料金です。面積が広いのに対して人口が少ないからです。設備の維持費や管理費、メンテナンスにかかるお金を、どうしても少人数で負担しなければならないからです。」<br>
バスは小高い丘を左に見る場所で停車した。パースから南東へ30km。『パオイニアワールド』に到着した。ここは日本で言う『明治村』といった見学地です。バスを降りると、お巡りさんの格好をしたおじさんが、変なマジックを見せながらのお迎えでした。西部劇に出てくる町のような建物が集まってところです。まずは、砂金採りの体験ゾーン、次がおばさんが登場して原住民の暮らしの話。最後が舞台ショー「原住民と羊の毛刈り」です。建物の1つに入ると舞台がありました。不思議な低い音がボー・ボーとして、幕が上がりました。一瞬、観客はドキッ!としました。裸の男性が一人、身体中に白い絵の具で模様を描いて座っています。大きな太い笛を唇にあてて、コンコンと木で笛を叩いてリズムをとりながら「ボー、ボーー」と演奏をしているのです。最初はカンガルーの踊りです。躍り出たのが3人の裸の男性、同じように体には模様を描いて、小さな布きれで腰をおおったスタイルでカンガルーのしぐさをまねて踊るのです。<br>
次は、「エミューの踊りです」同じ男性3人が大きなダチョウのような飛べない鳥エミューになって踊ります。「笑う鳥の踊り」「悪魔を払う踊り」ボーボーカンカンボボボ ボーと同じようで少し違った音楽に合わせて、3人の裸が舞台一杯に動き回ります。とうとう、4人の裸の男性だけで踊りの部が終わってしまいました。中幕が開くと階段状のステージが出てきました。カーボーイ姿の若者が登場して、4人の客を舞台にのせて哺乳ビンを渡します。私達の派遣団員からも2人の男女が登壇しました。「はい、これからミルクの早飲み競争です。さあー、始めます。レディースゴー」4人とも素直に、哺乳ビンを逆さにして飲み始めました。何と「ジョーク、ジョーク」とカーボーイが叫んでいます。「それは、皆さんが飲むのではありません、選手入場」舞台のうしろから、子羊が飛び出してきました。手に持っている哺乳ビンを子羊にあげて本来のミルク飲み競争が始まりました。その選ばれた団員は。「何か生ぬるくて、気持ちが悪かったが、競争ということで、無理して飲んだ」と言われた。この施設の中には、もう1つ驚く建物がありました。これは、次回に書きます。<br>
N024:9月19日<11日目その1>(月:晴)9:45 ホテル出発 10:20 パイオニアワールド視察と車中にて明日からの訪問等の打ち合わせ 12:20 「龍園酒家」にて昼食 13:40 キングスパーク、シティビーチ等パース市内視察 15:20 モンガー湖を訪れ黒鳥を見る 15:40 ショッピング 17:15 打ち合わせ<br>
【所感】朝、さわやかな雲一つない晴天に、昨日の疲れも何のそのと元気に全員集合。なるほどパースの街は美しい。芝生と木立ちとレンガの住宅地、インド洋・スワン湖・モンガー湖、一つ一つに芸術性を組み込めてあるビル群や広くなだらかな街を一望できる公演・・・数え上げればきりがないが、美を自分のものとしているパースの人々の感性に感動した一日であった。さて、バスの中でうとうとしていた我々は、「ヌーディストビーチ」と聞いて、この説明に、目がぱっちり。また、鉄道の踏切で、そのままのスピードで通過に、全員、あぜん!
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