平成12年8月29日
<美しい数学の話>
第24話 「数学教育世界会議」
平成12年度 第9回数学教育世界会議(ICME−9)国際円卓会議 に参加して
(「数学的知識は将来役に立つか」という疑問が解けた?)
1.期 間:平成12年7月31日(月)〜8月1日
(火)2.会 場:開会式・国際円卓会議・・・幕張メッセ(千葉県美浜区中瀬2−1)
3.日 時:
7月31日10時〜11時 開会式 ,11時30分 〜13時 国際円卓会議4.参加費:1万円
5.報告事項[1]概要 (参加ガイドのパンフレットから)
この国際円卓会議は数学教育の最も新しい話題についての理解を深めることを目的に行われました。会場には、総合司会のリー・ペンイー(シンガポール)とパネリストのハイマン・バス(アメリカ)、ギラ・リーダー(オーストラリア)、野崎昭弘(日本)の計4名が着席され、、遠隔参加スピーカーとして、ブルース・アルバート(アメリカ)、H.T.ウェ(シイガポール)、有明朗人(日本)の3名で
ISDN回線でつなぎ、インターネットでのテレビ会議でした。テーマは「21世紀における一般教育の中での数学の役割」でした。同時通訳のイヤーホーンで行い、各国の小・中・高・大学における、数学教育の現状を話され、それに関しての討論でした。[2]
ワシントン ホワイト・ハウス からのメッセージ (一部抜粋)(ビル・クリントン 署名)いまや、我々が身をおく世界と労働力の性格は、目をくらませる程で変容しています。驚くべき科学・技術の進歩−その多くは基礎的な数学の原理や理論に基づいていますが、それらは、労働、生活そうした思考の新しい途を創出しつつあります。
我々の教育制度が立ち向かうべき課題は、我々の子供たちのすべてが、高いレベルの数理的リテラシーを確かに獲得できるようにすることにあります。国際的な共同体として、世界のどこにおいても全般的な教育の核である、数学の教えと学びを改善するための協力を続けることは、我々にとり必須なのであります。
我々は、次世代の数学者や科学者を育てるのみならず、すべての市民が、今後ますます数理的な性格を強めるであろう、日々の判断・決定に正しく取り組む素養を備えている境地の実現に務めねばなりません。
新世紀の黎明にあたり、以下の故をもって、私は皆様と共に数学を人間の文化の中心部分として認識し、且つ、たたえるものであります。すなわち、その科学および社会における応用のゆえに、その理念と推論法の力と美のゆえに、さらに、それらがもたらす人間精神の豊かさのゆえにであります。私は、帯域にわたる数学教育の改善に向けての皆様の重要なお仕事に対して、皆様方のそれぞれに敬意を表しながら、この会議の実り多いことを願うものであります。
[3]内閣総理大臣 森 首相 からの 祝電 (一部抜粋)
教育は、将来の世界の平和と繁栄のために最も重要なものです。特にIT(情報技術)革命や生命科学の進展など、科学技術が社会の在り方そのものに大きな影響を与えようとしている21世紀の入り口にあたって、理数科教育は、将来の科学者を育てるのみならず、日常生活や経済活動、さらには国の政策決定にとっても、ますます重要なものとなっています。
しかしながら、一方において、我が国では、子供達の理数科離れが懸念されており、日本学術会議においてもこの問題の分析や対応策について討議を進めていると聞いております。
このような中、世界の数学者や教育関係者が直接交流し、同時に、我が国の特色ある数学教育の研究や指導実践の発表と経験交流の場となるこの度の国際会議は、急激に変化する21世紀に対応する新しい方面を見出して今後の発展に資するためにも極めて重要な会議であると思います。
6.その後の反響:朝日新聞の天声人語から(平成12年8月21日より引用)
大学生の学力低下は、世界的な現象らしい。たとえば数学。どの国も似た悩みを抱えていることが、さきごろ千葉市の幕張メッセで開かれた数学教育世界会議で明らかになった。 英国の大学教授が「今の学生は、ごく簡単な問題の解けない」と例を挙げて説明すると、参加者たちは口々に「うちのそうだ」「いや、うちの方がひどい」。米国、ドイツ、フランス、・・・。「昔に比べて出来が悪くなった」という教授たちの嘆きに国境はなかった。<記事一部省略>
大学入試についていえば、日本の問題は実に海外で評判がいい。センター試験は、まぐれ当たりも可能な択一式ではなく、きちんと理解していないと答えられないよう工夫されている。大学ごとの試験も、考えさせる良問が多い。なのに学力低下は進むばかりと見える。学習指導要領が悪い、教員養成に問題がある、受験者を増やそうと数学なしの入試が流行したのが大間違い、数学は実社会では役に立たないとみなす傾向が強すぎる。
しかし、合点がいかないのは、こうした事情を抱えていない国々も、同じように悩んでいるということだ。なぜか。数学の達人にも解けない難問である。
7.「えうれか 数学の極意教えます」福岡県高校数学教師:轟寿男著(海鳥社)を読んで
「数学は将来役に立つか」という質問をよく受ける。そのほとんどに否定的なニュアンスを感じる。数学は「自然科学の基礎」であって、「日常社会や経営ビジネスあるいは人文・社会科学には無関係」という誤った考えが定着しつつある。一般的にはやはり役に立たないのだろうか。
「今年の夏は大変暑かった。最高温度35度以上が何日間あった」と考える材料、またはデーターとして数字をよく使っている。数字を使うことにより、物事の「比較」をしている。これは数字が1つの言葉として表現しているのです。 他には、雨が降る予想としての降水確率、地震の規模を示すマグニチュードなどが日常の中で使われている。今の時代は、比較するための数字の使い方が特に発展してきている。
例えば歴史を眺めるにしても年号で考え、台風に関する情報などは、位置を経度・緯度で、速度を時速で、気圧をヘクトパスカルで、暴風圏内や進度予想を円の大きさと位置で表している。現在のあふれんばかりの情報をどう分類してまとめるかということなど、数学で勉強した「ものの見方」や「分類」が役にたつ。
「数学は何の役に立つだろうか」という問を発する人は、「日常生活は算数さえ知っていれば何の不自由もない」ということを言いたいのだろう。
数学は役に立たないのでなく、役に立つように使いこなしていないだけである。
私たち教師や大人が「日常生活において数学が果たしている役割を、多くの例をもって話したり、数学的な見方や考え方の重要性を認識させたり、数学的知識はものごとを表現する1つの言葉である」と、21世紀を担う子供たちに機会あるごとに伝えられたらと思う。
最初のページへもどる