平成12年11月1日
<美しい数学の話>
第29話 「対数の発見」
太郎さんは、ここで、突然ですが、16世紀のヨーロッパの世界的情勢と数学的発見を書いてみます。今度の、文化講演の中ででて来そうな話ですので。
15〜16世紀になって、航海技術の改善が進み、商業の規模が大きくふくれあがり、天文学や測量の研究が盛んになりました。その頃、有名な天文学者ケプラー(1571〜1630)は、惑星の軌道の計算を行い、ガリレイ(1564〜1642)は、望遠鏡を発明して星の研究に熱中するなど、いままで一般の人々が考えなかったような大きな数を扱う必要が生じてきました。
そこで、新しい職業として、「計算師」と呼ばれる専門の計算者が登場してきたのです。彼らは「計算親方」と呼ばれて、仕事が多忙でした。ところが、彼ら計算師たちは、計算方法の改良や計算技術の改善については何も考えていませんでした。こんな中、16世紀、対数がネピアによって、常用対数はブリッグスによって発見されました。2人はイギリスの人で、お互いに助言を与えながら常用対数の完成へと研究を続けたのです。
ジョン・ネピアは、スコットランドのエジンバラ市のマーキストン城の中で、貴族マーキストン男爵の子として生まれました。豊かな家庭で育った子供というのは、なまけがちが常ですから、父は、手元から離して、1574年、24歳のネピアをフランスへ留学させました。大学を卒業した後も、フランスで数学を研究していましたが、1608年父が他界したので、ネピアはマーキストン城に帰りました。彼は40年以上にわたって数学書を読み、フランスから帰国して城主になってからも数学の研究を続けたのです。ネピアが級数の展開から対数を発見したとなっていますが、一説には、次のような事実も伝えられています。
16世紀の後半、デンマークは航海や天文学に関していろいろな問題を研究する中心地となっていて、そこで2人の数学者ウイッテとクラビウス(ドイツ人、1537〜1612)が、三角表(三角関数表)を用いた計算を簡単にする方法を発表しました。ネピアはこれにヒントを得て対数を発見したといわれています。なるほどと思われる方法なので、その当時としては、画期的な計算法として評判になったことを思います。ご存じでしょうが、
三角法の公式に、積を和に変える次のようなものがあります。2sinα・cosβ=sin(α+β)+sin(α−β)
この公式を使うと、三角関数表を利用して、手間のかかる小数の積を簡単に計算できます。
ここで、問題です。当時、小数のかけ算 0.1736×0.9903
をどのように行ったか考えてください。今から当時の計算方法を紹介します。
0.1736×0.9903=sin10°×cos8°
=1/2{sin(10°+8°)+sin(10°−8°)
=1/2(sin18°+sin2°)=
1/2(0.3090+0.0349)
=1/2×0.3439
=0.1715 としていたのです。
実際は0.1736×0.9903=0.17191608
となるので、小数第4位まで正しいことになります。誤差は1万分の以下です。しかし、現代では電卓があるので、この計算には恩恵がありませんが。その頃は、指数法則の理論が現在のように完成されていなかった時代で、ネピアは、三角関数表によって計算し、20年以上もかかって精密な対数表を作りました。
1614年には著書「対数の驚きべき法則」を発行して、対数計算の方法を一般に公開しました。ネピアが上記の著書を出版したことによって、ヨーロッパ各国の数学者や天文学者、航海関係者の人々などに大変な反響をよんで、対数を研究する人が多くなりました。
さて、1614年には著書「対数の驚きべき法則」を発行して、対数計算の方法を一般に公開しました。ネピアが上記の著書を出版したことによって、ヨーロッパ各国の数学者や天文学者、航海関係者の人々などに大変な反響をよんで、対数を研究する人が多くなりました。続きを書きます。その人々の中ででも、その頃ロンドンのグレシャム・カレッジの教授をしていた、ヘンリー・ブリッグスは、ネピアの研究と著述に驚いて、遠いスコットランドまで出向いて、ネピアに会いました。彼は、助言を与え、協力して、「対数算術」を1624年に出版しました。
この本には、1から2万までと、9万から10万までの14桁の対数が載っていて、大変貴重な文献です。その後、オランダのアドリアン・ウラクは、ブリッグスの著書を改訂して、1万から10万までのすべての整数の対数の値を小数10位まで求めて発表しました。
ブリッグスは、数学者で天文学者でした。彼は、ヨークシャーのウォーリー・ウッドに生まれて、ケンブリッジのセント・ジョーンズ・カレッジを卒業した後、ロンドンのグレシャム・カレッジの初代幾何学教授を勤め、その後オックスフォード大学の天文学教授になった人です。ブリッグスの功をたたえて、10を底とする対数log(10)Xを「ブリッグス対数」と呼ぶこともあります。
ビュルギ対数についてもお話をします。ネピアの発見した対数は、前にも述べたとおり、三角法の公式からヒントを得ました。一方、私達が今日使っている対数、つまり、10を底とする常用対数やeを底とする自然対数の理論を、指数法則から導いたのは、スイスの数学者で天文学者でもあったビュルギ(1552〜1632)です。若い頃の彼は宮廷時計師の仕事をしていましたが、後にカッセルの天文台に勤めたり、プラハでケプラーに師事していたようです。天文学や数学を研究して、当時としては、有力な数学者の1人でした。ところが、その全業績は後世に伝わっていないようです。ネピアやブリッグスとはまったく無関係に、しかも、ほとんど同じ頃、指数の理論から、対数を発見に到達したので、「ビュルギ対数」などと呼ばれています。事実、有名な天文学者であり数学者でもあったケプラーは、「小数や対数の発見はビュルギ」といったそうです。ビュルギ対数表の公刊は、ネピアのものより6年後の1620年で、しかも、その発表は無記名であったのです。
さて、以上のように、対数の発見は、ネピア、ブリッグス、ビュルギなどの努力のおかげですが、対数の発見によって、今まで手のつけようのなかった複雑な計算が、簡単にできるようになったので、数学の実用化が急速に進んだのです。さらに、無限級数の助けによって、一段と精確な桁数の大きな対数表が完成されて、ケプラー、ブラック、ニュートン、メルカート、ガウスなどの大数学者によって、この方面の研究が進められ、現在に至ったわけです。
以上で、対数の発見に至る話を終わります。この記事は、「対数eの不思議:堀場芳数著」講談社を読んで引用しました。