平成15年1月3日

<美しい数学の話>

第45話 数学という学問」

2003年の念頭にあたり 所感を述べる

                               

「数学は将来役に立つか」という質問をよく受ける。そのほとんどに否定的なニュアンスを感じる。

数学は「自然科学の基礎」であって、「日常社会や経営学あるいは人文・社会科学には無関係」

という誤った考えが定着しつつある。

一般的にはやはり役に立たないのだろうか。

「昨年の3月は暖かい日があった。3月としては最高気温が二十度以上の日があったから」と考える材料、

またはデーターとして数字をよく使っている。数字を使うことにより、物事の「比較」ができる。

これは数字が一つの言葉として表現しているからです。

他には、雨が降る予想としての降水確率、地震の規模を示すマグニチュードなどが日常の中でよく使われている。

今の時代は、比較するために数字の使い方が特に発展してきている。

 例えば歴史を眺めるときも年号で考え、台風に関する情報などは、

位置を経度・緯度で、速度を時速で、気圧をヘクトパスカルで、暴風圏内や進度予想を円の大きさと位置で表している。

現在のあふれんばかりの情報をどう分類してまとめるかということなど、数学で勉強した「ものの見方」や「分類」が役に立つ。

「数学は何の役に立つだろうか」という問を発する人は、「日常生活は算数さえ知っていれば何の不自由もない」

ということを言いたいのだろう。

 数学は役に立たないのでなく、役に立つように使いこなしていないだけである。

私たち親や教師が「日常生活において数学が果たしている役割を、多くの例をもって話たり、

数学的な見方や考え方の重要性を認識し、数学的知識はものごとを表現する一つの言葉である」と、

二十一世紀を担う子供たちに機会あるごとに伝えられたらと思う。

 学生の中に、数学が苦手な人がいますが、これまで、本当に身を入れて数学を勉強したことがありますか。

苦手な学科に心身を打ち込んで勉強してこそ、克服できたときの喜びも格別なものであることは心身を打ち込んだ者だけが味わえる特権です。不得意なものに挑戦してそれに打ち勝つことは、将来、社会に出て、あなたが出会うかもしれないより大きな困難を克服する大きな力を養うためにも、数学的能力は必要になるのです。
 人間の能力は生まれたときにできあがっているのではなく、一人ひとりの中に埋まっているものです。それを掘り起こして、鍛え抜くことによって、素晴らしい能力が開花するものです。今こそ、能力の限界に挑戦して、「やったぞ」という成就感を味わってみることが大切です。
 次の漢文を読んでください。「本気」になって勉学に励み、頑張り続ければ、「人生の栄冠」という華麗な花が咲きます。

                

 

 

 

 

 

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