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    < 水 の 流 れ> (文部省教員海外派遣)NO2

    <オーストラリア:シドニー・エアーズロック編>

平成6年9月9日(金)から、約2週間にわたり、シンガポール・マレーシア・オーストラリアへ教育視察に行ってきました。その時、団員全員が当番制で残してある視察日誌を書きます。(団員の皆さん、この紙面に載せることをお許しください)

N023:9月18日<10日目その4>【水の流れ】エアーズロック内のリゾートにある「The Rose Garden」という名のレストランで昼食を取る。何を食べたか覚えていない。その後、30km離れたマウントオルガに到着。この岩を発見したイギリスの探検家が、女王オルガの名前を付けたそうです。私達は「オルガ渓谷」を散策しました。ゴロゴロした石ころの道を歩く、谷の低いところは木も茂っています。両側にそびえ立つ岩肌に挟まれて、これ以上青い空はないほど、くっきりと谷間にはまりこんでいました。谷の遊歩道の終点まで行って引き返しました。終車場で水を飲んでいると、オーストラリアの野生の犬、ディンゴが1匹やってきました。かなり警戒していましたが、運転者さんの道路にこぼした水を近づいてなめていました。さて、日がだいぶ傾いてきました。太陽が沈むにつれて、岩肌が7色に変化するエアーズロックの日没、サンセットをみなければならないということです。30kmを走ってサンセットの見学地へ・・・、どこからこんなに集まったかと思うほどのバスが並んでいました。大勢の人が、岩肌のの変わりゆく色合いをみつめていました。幸いよく見えるところがあったので、上機嫌で見ていたところ、「そこは、だめです」と注意を受ける。どうも、英語で、シャッターポイントだから、長くいられないのだそうです。看板をみていなかったせいです。もちろん、その場所で写真をガイドさんと一緒に撮りました。その後、バスでエアーズロック空港到着。待合室で時間をつぶす。お店で、飴を買ってなめてみる。午後8時にAnsett Australia 航空機に乗り、西にあるパースに向かう。ということは、時間を1時間もどすことになります。すたがって、ながーい一日で、25時間あります。スチュワーデスからオレンジジュースをもらう。そして、デイナーサービスが始まった。機内食にも慣れてきた。仲間の1人が家庭科の先生ということもあって、食べ物をよく写真に撮ってみえた。各航空会社の機内食も入っています。後日、彼女が撮った食べ物写真集をご無理いって焼き増ししてもらった。これも良い記念写真にいつまでもなっている。9時半パース空港着。2時間半の旅でした。パースのガイドさんは、E・Tさん(これが、日本のテレビ『ズームイン、朝!』で活躍している黒人タレントのウイッキーさんにそっくりです)。日本の商社に勤めていて、退職してから弟の住んでいたこのパースに来たそうです。大の日本通と言うことです。ホテルまでの道では、スバルの自動車、三菱、次はトヨタ、さらにホンダという看板をみながら、さすが日本の自動車産業がすごいと思いつつ、ハイアット・リージェシー ホテルまで行く。このホテルが最後で五泊します。移動がないのはありがたい。やっと、日本から持ってきたおみやげや生徒の作品を渡すことができる。もう持ち運ばなくて良いのです。シャワーを浴びて疲れをとりました。

N022:9月18日<10日目その3>【水の流れ】バスはサバナの中を走っている。前方にエアーズロック、右手にMt.Orga.両方ともさすがにでかい。オルガ山までは、ここから50kmあるが、その間障害物は何もなし。エアーズロックまでは20kmで、感覚が狂ってしまいそうです。オレンジ色の肌が地平線の上にあらわに広げている。ディーチェルさんが、我々の一人一人に国立公園の入場券を配ってから言った。「ゲートを通るとき、バスの中から管理事務所の方へこれを見せます。このように頭の上に挙げて見せてください。」と言いながらチケットを持って、両手を挙げていた。途中、Ayes Rock Resort のそばを通過する。ディーチェルさんの話。「このリゾートは Ayes Rock 観光の基地になっています。スタッフやその家族が6000人も住んでいます。ここから一番近い都会はアリス・スプリングで、450km離れています。水は地下水を使っています。また、エネルギーの70%は電気で、ほとんどの建物の屋根にはソーラーシステムが備えなれています。」国立公園のゲートを通過、皆一斉に手を挙げてチケットを見せる。管理人の2、3人が手を振って答える。
バスはまだ平原のステップ地帯を走る。数年前までは「エアーズロック国立公園」と呼んでいたのですが、アポリジニー人に土地や財産の所有権を移管すると同時に、原住民の古い言葉であるウルル国立公園に改名したそうです。ここから上がる収益はアポリジニー人の保護政策の財政に組み込まれます。バスはエアーズロックの真下にある公園に着きました。この一枚岩は世界最大で、周囲10km、高さ350mの巨大なものです。先住民アポリジニー人にとっては、聖地と崇められている。岩肌には、生き物の「脳みそ」「唇」「しっぽ」「心臓」の模様があり、まさに自然の妙です。これらは、数万年の歳月をかけてつくりだされた侵食痕です。皆は、ロープにつたって途中まで上りました。ここでは、紫外線防止のサングラスと帽子、運動靴(スニカー等)が必要です。また水分補給も忘れずに。
こんな注意もパンフレットに書いてありました。常に、1.アポリジニー人の聖地であることを忘れずに、敬う心をもつこと。2.「もし、アポリジニー人に出会いに、お酒を求められても、決して渡さないようにしてください。あなたの”親心がアポリジニーの生活を破壊しまいます。」3.ゴミ箱以外に、ゴミを捨てないでください。4.野生動物(犬のヂィンゴが現れる)には物を与えないでください。植物はとったりしないでください。その後に、エアーズロックの中にある洞窟を見学する。左右の幅は20mくらい、奥行き10mくらい。壁面や天井に沢山の絵が、白やオレンジの絵の具でビッシリ描かれていました。古代アポリジニー人の作品群である。ヘビやカンガルーなど、動物を形取ったものが多い。バスに戻り、暫く行って、レストランにて遅い昼食を取る。<今日はここまでです。>

N021:9月18日<10日目その2>【水の流れ】朝食は、昨夜買った何か(覚えていない)とカンタス航空からのビスケットで済ました。今日は日曜日なのに、連日休みなく視察と移動が続く。タレントなみのスケジュールが一杯入っている。自分で考えた旅行なら決してこんなには忙しくはしない。フロントの横にある売店で、日差しが強いこともあってエアーズロックと書かれている帽子を買う(これは今でも、体育行事のとき被って生徒に「何って呼ぶの Ayes Rock?」と言って自慢でしている。ここで、エアーズロック登山のために、サングラスを買u団員もいた。9時にトランクを部屋の外へ出す。ホテルを出て、バスに乗り込む。昨日のガイドのケイ子さんが案内される。「プラザホテルは一流ですが、建物の高さはそれ程高くないのです。これは、ここの条例で木の高さより高い建物は建ててはいけないのです。したがって、どの建物も3階建てまでになっています。これは、砂漠の景観を守るためです。次に、この町には春と秋に二大行事があります。春には昨日お話したボートレースです。秋はラクダレースが行われます。」さらに、ケイ子さんの話を続けます。「皆さんは、ワニの肉を食べられますか?また、イモムシも缶詰にして売られていますから、ご希望の方はどこかでお買い上げください。」私にはとても買う気にはなれません。10時にアリススプリング空港に着く。11時15分にアンセット航空80人乗りから、搭乗開始。順調に離陸していく。窓の景色は、昨日と変わらない砂漠の大地ばかり。しばらくすると、窓からエアーズロックを発見。機体がこの有名な岩の周りを旋回して着陸。このエアーズロック空港は砂漠の真ん中で、赤土の中に灰色の滑走路が1本あるだけです。着陸際に、耳が痛くなり、直っていない。ゲイトまで歩くときは、地面からの高熱で、気温が高い高い。早く建物の中に入りたい。やっと、バスに入り込む。ガイドさんはディーチェルさん(ソバカスが気になる)という名の23歳に女性。早くも数匹のハエも乱入している。日陰や水分を求めて人間のそばにくる。この続きは後日にします。

N020:9月18日<10日目その1>(日:快晴)9:40 プラザホテル出発 11:30 アリススプリング空港発(AN93) 12:16 エアーズロック空港着 12:40 ウルル国立公園にてエアーズロック、Mtオルガ周辺の視察 19:08 エアーズロック空港着 20:22  エアーズロック空港発 21:30 パース着 22:30  ハイアットホテル着
 

【所感】ウルル国立公園の視察を含む2200kmの移動の強行日程。出会うガイド一日三人も旅行中最多。とてつもなく広大なサバナに突き出した高さ348m、周囲94kmの一枚岩。礫岩質の赤い肌の山エアーズロック。地球のへそはやはり雄大であった。6億年の歳月に形成された姿は、太陽の光、平原を流れる空気と共に様々な色相を示す。日本では決して出会えぬ感動を満喫した。夜、星空を眺めた。天頂にサソリ座。日本で見るとは倒立した向きに堂々と輝く。さらに南の方角へたどるとサザンクロス。南半球の大地で自然とたわむれた一日が終わった。

N019:9月17日<9日目その4>【水の流れ】夕食を食べに、プラザホテルを出る。私は、あまり体調が良くないので、ホテルの中で注文したかったが、誰もいなくて、結局、タクシーで(歩いたら30分はかかる距離)いく。トッドモールという商店街は、7時には閉店。まして、土・日は休み多い。素敵で綺麗な色彩のアポリジニー人の民芸品店を見つけるが「Closed」であった。見るだけで残念です。注文は、Tボーンスケーキとサラダにしました。中には、カンガルー肉のステーキを注文された人もあります。ここに、日本製のキッコマン醤油があります。凄い!キッコマン醤油の海外進出。ここで、私のお腹の調子が悪いことを言うと、親切な高校の先生が、「私が日本から持ってきた細菌を殺すクスリを飲んでみては」と言われて、3回分をもらって食後に飲み続けることになる。実は、このクスリのおかげで回復にむかったのです。ありがとう。また、このレストランの髭づらシェフと強引に写真を一緒に撮ってしまう。帰りに、アポリジニー人に会うが、写真を決して撮ってはいけませんと事前に注意を受けていましたので、素通りです。暗い夜道に会うのですから、気持ちの良いものではありません。途中の1軒開いていた雑貨屋に入って、明日の朝食を買う。そう言えば、カンタス航空からのビスケットのあることを覚えていましたから、少な目にしてパン類だけにする。夜空には綺麗な星が輝いています。サザンクロスをも見るのが日本から出るときの目的の1つでした。でも、これがそうだという立派な星を見つけることができません。北極星みたいにそばに北斗七星みたいのがないせいもあります。歩いて近くのタクシー乗り場までいき、ホテルへ例の川の底道路を通って帰りました。お休みなさい。明日は、エアーズロックとご対面です。

N018:9月17日<9日目その3>【水の流れ】シドニーからアリススプリングまでは、国内線カンタス航空で飛びます。ここの、荷物検査が厳しい。ある先生のトランクの重さをみて、22kgと出ました。係員が黄色い札をつけて「Heavy」と書かれています。結局、2kgは手荷物になって移す変えになりました。2kg位大目にと思うのは、日本人の悪いくせでしょうか。私は、ロビーを見渡していましたら、待合室のソファーに見覚えのある顔があった。すぐには思い出せなかったが、「ううーん、あー、教えた子だー!」しかし、いつも私は、その人の前に行って、こちらを見てもらいようにしました。相手が気がつかない。隣の女性と話していた言葉は、英語でしたから、人違いか。コウリアンということもあるし。一度立ち去ったが、いや!ますます鮮明になってきた。担任でもあったはずだ。もう一度、前に近づいてみる。目があった。むこうから、「M先生!学校は」これが第一声でした。聞くところによると、彼女は現在、京都市内にある大学3年生です。この夏休みにホームスティをしていて、今日から、オーストラリアの国内旅行のため、ここで、ホームスティで一緒で、お見送りに来た韓国人と搭乗う時間を待っていたところでした。私たちと同じアリススプリングにいって、明日エアーズロックを見学するのです。こんなに遠いところで、会うなんてまれなことです。おお驚きです。ならば、搭乗券を見て、私たちの仲間の券と交換して、目的地まで隣になって素敵な時間を取ったことは言うまでもありません。飛行機はボーイング737−300。116人乗りで、まあまあの大きさですが、ジャンボに比べればやはり小さい。30分遅れて出発。機内食は軽食で、パン、ビスケット、サーモン、生ハム、サラダ、オレンジ、ぶどう。オレンジジュース、プリンといったメニューでした。私は、ビスケットを手荷物のカバンの中に残しておいた。外の景色は、どこまでも赤い土の砂漠です。人が住んでいる様子がまったくなく、真っ白な塩湖が時々見られた広い大地なのです。急に、耳が痛くなった。ボーンという大きな音とともに着陸。そこには、空港施設以外何もない。トランクを受け取るとき、日本名があった私の教え子が、じっと荷物受け取りカウンターで待っていて、トランクが見つからなくて探していた。実は、同じ日本人の団体と思って、別のところで、すでに降ろしてあったのです。彼女の名前を知っていた私は、「ここにおいてあるよ。」と伝えて、無事本人に渡る。ホテルは違っていましたが。ここまでの楽しい時間のお礼と、日本に着く日を教えてもらい、お互いの旅行の安全を祈って別れる。後日、日本の住所に、一緒に撮った写真を送る。このアリススプリングは春先なのに、太陽の光が強く、紫外線も多い砂漠の町です。空港の前に止まっているKingsのバスに乗りこむ。バスガイドさんは西村ケイ子さん。2年前に仙台から来て、ここで国際結婚された。アリススプリングは空港から10km離れていて、人口2万5千人です。ここには、日本人は7人です。なぜ、砂漠の真中にこのような町が開かれたのかというと、今から、120年ほど前に、電信技師だったチャールズ・トッドという人がこの辺りを探検中に泉を発見して、その泉に妻の名をとって、Alice=Springsと名づけた。その後、アデレートとダーウインをつなぐ鉄道が建設され、人々が住みつくようになったそうです。この辺りは雨が降ることは1年い1回か、2回だそうです。道路の低くなっているところが川です。だから、川底をこのバスは通っています。ここの大きなユーカリは根を深く深く伸ばしていて、雨が降らなくても平気です。だから、この雨が降らない砂漠地帯にも、地下に豊富な地下水脈が流れています。それをポンプで汲み上げて、生活水にします。大きな貯蔵タンクに雨水を入れておくこともあります。アリススプリングには、”川に水が流れるのを3回見たものは、この町で一生を過ごす”という言い伝えがあるそうです。ですから、川には橋がかかっていません。道は川を横断して作られています。雨が降ったら交通止めになります。ただ、列車の通る橋はかかっています。雨の少ないこの町では、ご当地名物のボートレースが行事にあります。底のないボートを作って、大人がオールを持って乗りこみます。川底に作ったレース場で「ヨーイ、ドン」で一斉に走ります。ボートの底から何本もの足がでて、運動会の障害物競走みたいです。こんな滑稽な写真がホテルのロビーに張ってあります。バスが小さな山脈の谷間を通り抜けた。ケイ子さん「今、通り抜けた山脈の切れ目は自然にできたものです。この辺りは、夜になると小さなカンガルーやワラビーの群れがよく出ます。それから、岩山は赤っぽい色の岩石からできています。これが、コークサイトと呼ばれる硬い石です。原住民のアポリジニーはこの石を使って、石斧などを作ります。」17時30分プラザホテル着。夜の出来事は後日、書きます。

N017:9月17日<9日目その2>【水の流れ】昨夜、ホテルを出て、近くにあるシドニー水族館の方へ橋を渡っていきました。そこには、バイオリンを奏でる紳士がいました。しばし、聞きほれていました。今から思うと、チップを置いておきべきでした。夜空を眺めると、空気が透き通っていて、実に綺麗な星が輝いていました。もちろん、海辺の橋の上のことですから。センチメンタルな気分になった。遠く日本にいる家族に想いを寄せていました。そこには、南見十字星(サザンクロス=Southern Cross on New Zealand and Australian flag )を一度見たくて見上げてみましたが、確認できずで残念でした。誰かに尋ねることにしました。ファーストフード店では、ただ広くて店員は2人だけでした。日本では信じられない人数です。<さて、このシドニーは人口約363万人の国際都市です。来年2000年シドニーオリンピックの開催都市でもあります。>朝食は、ホテルの近くある日本食堂にいきました。テーブルが満席なので空くのをまって入りました。1人なので相席になりました。幸い日本人です。1人の老紳士でした。「私は滋賀県に住んでいまして、定年後1年に1回海外旅行をしています。去年はカナダで、今年は2・3日前に、ニュージランドを観光して、今、オーストラリアのシドニーに来ています。これが楽しみなのです。私の息子も教員をやっています。」見ていて、私も定年後こんな優雅な旅を夫婦でしたいものだとこのとき想いました。こんな風景は、シンガポールの水族館を見学したときにも、ありました。長野県出身で還暦の祝いに子供たち2人が旅費をだしてくれましたという夫婦ずれに会話がはずんだことがあります。とにかく、シドニーでは、日本人の観光客が多いのには驚いています。ホテルを出て、昨夜乗ったモノレールの通りに出ました。車はかなりのスピードで走っています。そういえば、この国は車優先でして、横断歩道意外では、到底渡れません。これもお国柄です。高いシドニータワーはすぐに分かりました。このタワーは1983年に完成した南半球一の高さを誇る304mあります。タワーの中には、展望台と回転レストランがあり、最高のパノラマが眺められます。入り口が専門店が170軒も入った大きなショッピングセンターの中にあります。だから、店員に聞きながら、やっと3階のチケット売り場に到着。1人6$を払い、高速bエレベーターに乗りました。このとき、同じ思いの仲間に合流できて、安心できました。タワーの正式名称は「Centre Point Tower」です。回転レストランで、ソフトドリンクを注文し、しばし、眺望を満喫する。この展望台で、自分のクラスの生徒全員にありきたりながら、絵葉書を購入する。また、バスケット部員にも全員コアラのついたクリップをみやげ物にする。ホテルへ戻る途中で、簡単な昼食をとるために食堂に入ると、そこにはアポリジニー人の親子が、多分シドニー観光にきているような感じで食事をとっていました。私は原住民の存在を知りませんでしたし、まして、肌の色が黒褐色とは。この国の近代的な発展振りにちょっぴり驚きの念を感じているようでした。仲間の私たちは急いで、ホテルに戻って、朝のうちに準備しておいたトランクを持って、ロビーに集合し、パスポートを日本からの添乗員から受け取りました。私は一番大切にしなければならないので、いわゆる腹巻風にして持ち歩いています。バスに入って、ガイドのユキさんが「これから行く、アリススプリングはこのシドニーとは現在30分の時差があります。後、2週間して10月に入ると、シドニーもサマータイム制度の関係で、時差はさらに30分増え、1時間になります。」時差が30分とは中途半端な感じです。シドニーの国内線ターミナルのビルに到着。30分のフリータイムです。このとき、実に驚き人物に遠く離れたこの空港内で会うことになります。
 

N016:9月17日<9日目その1>(土:晴) 午前中フリー 11:45 ホテル出発 14:00 アンセット航空にてシドニーを出発 16:40 アリススプリング着 17:30  プラザホテル着 夕食は各自 
 

【所感】朝、シドニータワーからシドニーの街を眺望、360度に広がるシドニーはいつまで見ていても飽きることはなかった。14時シドニーを後にアリススプリングへ2028kmの旅。機内から見える景色は、シドニーの都会的な美しさとは一変してどこまでも続く赤い大陸と、はるかかなたにある地平線。2時間半ほとんど変わらなこの景色(サバナ的風土)、オーストラリア大陸の広大さを改めて感じとれた旅であった。夜はアポリジニーの文化に触れ、カンガルーのステーキを美食し、南天の星空を満喫した。ただ南十字星が見つからなかったのが、ちょっぴり心残り。

N015:9月16日<8日目その2>【水の流れ】昨日、ガイドのユキさんが、オーストラリアの母親は、小さな3歳くらいまでに、子供の躾けとして、3つの魔法の言葉を教えます。それは、「Thank you」,「Excuse me」,「Please」です。そう言えば、ここの建物の階の数え方はイギリス方式で、日本で言う1階はグランドフロアー。2階がファーストフロアーと言います。そして、このホテルのロビーはファーストフロアーにあります。お国によって、数え方が違います。バスに乗り込むと、今日の案内は、ガイドの見習い(ツァー・コンダクター)の人でした。驚いたことに、私と同じ町内出身で隣の村の女性でした。奇遇です。でも、もっと奇遇な出逢いが明日シドニー空港でもありました。さて、シドニー郊外のワイルドライフ・パークに着きました。園内は37のエリアに分かれており、コアラを中心にワニ、コウモリ、大トカゲ、ニシキヘビ、他には珍しい動物として、ワラビー、エミュー、白いカンガルー、ウオンバットなどがいました。コアラはいつも木の上にいて、本来夜行性です。したがって、記念撮影には、コアラがコアラのぬいぐるみに入っているのを人が抱えて撮影ということになります。コアラというのは、原住民の言葉で「水を飲まない」という意味だそうです。ユ−カリの葉を食べるだけで必要な水分が補われます。11時頃退園して、シドニーの西100kmにあるブルー・マウンテンズ国立公園に向かう。オーストラリアには、ユーカリの木は600種類ほどあって、その葉から揮発成分が蒸発し谷にたまると空気が青く見える。それがブルー・マウンテンズの由来。この国立公園は、1000m級の山々が連ながっていて、峡谷あり、奇岩あり、滝ありと変化の富んだダイナミックな自然が広がっていました。その雄大な姿から、オーストラリアのグランド・キャニオンとも呼ばれています。エコー・ポイントには、風化によってできた奇岩のスリー・シスターズがある。スリー・シスターズはブルー・マウンテンズのシンボル。それには、次のような原住民のアポリジニーの伝説がある。「昔、美しい3姉妹とその父親が幸せに暮らしていた。ある日、彼らは食糧を捜しに山へ出かけたが、洞窟で寝ていた魔王を起こしてしまう。怒った魔王は、彼らを追いかけてきた。父親は、魔法の骨を使い娘達を岩にして守り、自分自身にも魔法をかけ、鳥になり逃げ切る。しかし、父親は魔法の骨をなくしてしまう。そのために、今も彼は骨を捜しにこの空を飛んでいる」と言う話です。3つの岩山を眺めていると、娘達の顔に見えてくる。もう1つの観光ポイントは、レールウエイとスカイウエイです。レイルウエイは最高52度の急傾斜面を走るケーブルカーのような乗り物です。次は、スカイウエイですが、谷に張り渡したロープにゴンドラが1機。20人ほど乗せて、谷に出て行きます。3分の2ほど行ったところの谷の上で停車。谷底やまわりの山々を見て戻ってきます。13:30  Hydro=Majestic=Hotel にて昼食です。ロビーにある大きな暖炉には、火が燃えていました。3日前には、雪が降ったそうです。長い廊下を通って食堂に案内される。古い建物みたいです。柱や天井にまで細かい彫刻や装飾が施されている。パンプキンスープや白いワインから始まってのフルコース。メインディシュは大きくて厚いステーキです。私は相変わらず、お腹の調子が悪いので、控えめにして食べる。デザートのケーキの大きいこと大きいこと。日本では考えられない大きさでした。なぜか、オーストラリア人も大きいので、ステーキもケーキも体にマッチしています。16:00 ホテル着 夕食の誘いがあったが、すぐに部屋に入り、寝込んでしまう。お腹が少し、減ってきたので、ホテルを出て、シドニー名物のモノレールに乗る。自分でキップを自動販売機で購入(一律料金)。改札口は人がいない。無人駅です。改札機にいれたら、キップがもどって来ない。すこし、キョロキョロしたが、隣の人もキップを持たないまま入っていく。だから、降りるときは、出口を出るだけ。1周して、目的の駅を決める。すると、シドニータワーの位置が良くわかった。あすの午前中に、見学することに決める。ファーストフード店でハンバガーで済ます。ホテルの戻って、室内から、家族に国際電話をかける。旅行中、電話は、これ1回だけでした。

N014:9月16日<8日目その1>(金:快晴)9:00 ホテル出発 10:00 オーストラリアン・ワイルドライフ・パーク入園  12:00 ブルー・マウンテンズ国立公園 見学  13:30  Hydro=Majestic=Hotel にて昼食 16:00 ホテル着 夕食は各自 
 

【所感】今日もシドニーは快晴である。ワイルドライフ・パークではコアラに迎えてもらい、抱いて記念撮影をする。ここの主役はコアラで、他のエミュー・白いカンガルー・ウオンバットなどの動物はおまけみたいである。1000m級の山々が連なるブルー・マウンテンズの渓谷、切り立った断崖、ユーカリの樹海、スリーシスターズなどオーストラリアの素晴らしいパノラマをしっかりと心に焼き付けた。空中ケーブルカーや急勾配鉄道も楽しめた。

N013:9月15日<7日目その3>【水の流れ】この研修の時に聞いていましたが、日本ほど至る所に自動販売機が置いてありません。さた、ガイドさんが学校の様子を話してくださいました。「こちらの学校では、2月が新年度の始まりで1月が終わりです。1年が4学期に分かれています。義務教育は10年間で、小学校へ入学するのは6歳です。学年は連続して教えますから中学校を卒業すると、10年生です。シドニーあるNew South Wales州では、中高等学校は大半が公立でして、私立の学校は数える程しかありません。私立学校はミッション スクルールが多いのですが、年間2万ドル近くもかかり、上流階級の子弟のみが通うイメージが強いです。小学校の低学年の子供は教科書を待たないで学校へ通います。テキストは2セット持っているので、1組は学校に置いておき、もう1つは家庭で使いますから、宿題が出されることはほとんどありません。」次の見学地は、ミセス=マッコーリーズ=ポイントです。マッコーリー婦人は、イギリスの植民地時代の総督の妻で、この岬から湾を出入りする船を眺めては故郷を偲んでいたそうです。周りをみると、日本人の観客(新婚さんやリッチなOL風、何かの団体さん)が多くいました。彼女がよく座って、港をみていたという岩に案内されました。上には大きな松の木があって、ちょうど覆い被さっていました。そして、シドニー湾の東にヨットの白い帆をデザインしたオペラ・ハウスに来ました。オパールのような輝きを思わせるような屋根には、約106枚の白いタイルが使われており、近代的なデザインのもと、2700人収容できる劇場です。誰かだ、今日の出し物は何ですかということで、夜のチケットを購入して観劇(椿姫)をした仲間が半分いました。私は睡眠不足とお腹の調子が良くないことで希望しませんでした。ご存じのように、オーストラリアは1770年、イギリスのキャプテン・クックによって発見されて以来、イギリス文化の影響を受けています。お昼は、古い歴史のありそうなレストランに入りました。バイキング形式です。場所を変えてみると、居酒屋風でして、ハブっていう感じです。ここの人達は、ビールやワインを昼間からよく飲むんだそうです。私は、消化の良いものを選んで少し食べました。見るからにうまいものばかりで、満腹になるまで食べたい気持ちを抑えるために、中にでいていました。2時頃、日航ダーリングハーバーホテルに到着しました。渡された番号キーを確認して、部屋に入る。実に疲れた一日でした。すぐに横になって、夕方まで一休みです。夕食は頼んでないので、ホテルを出て、一人で近くのお店に立ち寄りました。相変わらずお腹の調子が良くないので、サンドイッチ程度のものを注文しました。広い店内の中、従業員は2人です。働いている人がどの店も少ないのです。夜9時に、NHKの7時のニーズを有料で見たりして、夜を過ごしました。ここで、日本から待ってきた梅干しが役に立ちました。ありがたいです。シドニーの一日は長かった。お休みなさい。

N012:9月15日<7日目その2>【水の流れ】私のお腹が調子が悪くなりかけてきた。機内では熟睡できない。うとうとしていると、4時頃機内が明るくなり、シンガポール航空の綺麗なシチューワデスから「モーニングコール」があり、パーサーが熱い蒸しタオルを配って歩く。何とこの後、朝食です。これは予期せぬことで、お腹が驚いている。まだ、消化されていない。でも、柔らかい消化の良い物を食べる。綺麗なシチューワデスをつい写真に納めたくなり、「Take your picture with me,please」と声をかけると、笑顔で「Yes Sir.」ラーキー。隣の人にシャーターを押してもらう。朝方、シドニーのキングスフォード・スミス国際航空に降り立つ。「Arrival」か「Immigration(入国)」の表示方向へついていく。入国審査でパスポート等を見せて、渡航目的が聞かれる。私たちは「Business」であって、「Sight sceen」ではないと前もって注意を受けていた。パスポートの他に、カードをはさんで返してもらう。このカードは出国のときに必要です。税関も無事通過。外は6℃と表示してある中、バスにトランクを運んで、乗り込むと、現地のガイドさんに対面する。名前はユキ=クリスティさんで日系人でした。航空内の両替所でオーストラリアドルに替える。(1$=約80円)オーストラリアでは、冬が終わって春先なのです。(どこかの場所で桜を見ることができました。)今度は旅行会社が(機内での朝食があるとは思っていなくて)空港内の2階にあるレストランで日本食を用意していました。もういくらおいしい食べ物でも食べられません。12時間の間で4回も食べることになっては。私はみそ汁くらい食べて、後はお腹に入れることはできませんでした。ここから、市内観光にでかける。バスの中では、ガイドは立って説明ができませんので、座ってマイクで案内されました。また、バス内での飲食は禁止です。「郷に入って郷に従え」の精神です。バスは高台に上がってきました。シドニー湾を一望できる見晴らしの良いところです。有名なタワーやオペラハウスに,ベイブリッジの案内です。眼下には,オレンジ色の瓦を伏せている平屋の家が見えています。テラコッタという赤色の土でできた屋根瓦を焼いています。

N011:9月15日<7日目その1>(木:快晴)4:00 機内朝食 5:30 シドニー着 7:00 朝食 7:45 教育文化施設等視察(ボンタイ海岸,ダードリペイジ,マッコリー海岸,オペラハウス等見学 12:00 昼食  14:00 ホテル着 15:00 自由研修(オペラ「椿姫」の観劇)
 

【所感】憧れのシドニーに到着。ガイドのユキさんの案内のもと,長時間の飛行機の疲れをとる暇もなく、市内へとバスで向かう。オレンジ色の町並み,コーラルフレームツリーの紅い色の美しさに見とれながら,ボンダイビーチへ。海岸の砂が細かく,まるでパウダーのように指にサラリと気持ち良い肌触りである。海岸でジョギングする人,すでに泳いでいる人には驚いた。岬の先端に白い優美な美しさを誇っているかのようなオペラハウスやシドニー湾にかかるアーチ状の巨大なベイブリッジ,オーストラリアに来ているという実感の1日であった。

過去の「海外視察日誌N01」シンガポール・マレーシア編ここをクリック下さい。

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