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    < 水 の 流 れ> (文部省教員海外派遣)NO4

    <オーストラリア編:パース・フリーマントル>

パースのロンドン・コートにあるイギリスのビックベンのような大時計。

最後になりましたが、この海外研修日誌を連載するにあたって、派遣団の報告書と二人の団員の「思い出すままに、16日間旅日記」「徒然なるまま海外上巻・下巻」の冊子を参考にしたりして、忘れていたところを引用させていただきました。大変ありがたく、ご好意に謹んで感謝します。これで、昨年11月9日からの「海外視察日誌」の連載を終了させていただきます。読者の皆さん!長期にわたり、ありがとうございました。(平成12年7月22日記了)

N041:9月24日<16日目その1>(土:晴れ)01:15 チャンギ空港発(SQ982便) 9:00名古屋航空着 10:00 解散 12:00 我が家に無事到着

【所感】深夜の搭乗である。軽食をとり、少しまどろむと窓から明くなっていた。スクリーンに飛行高度、目的地の時間、気温等が映し出されると、皆の心は早くも家族のもとに飛んでいるようである。気温22度と涼しく出発時の猛暑は消え旅の間に季節が変わっているのを肌で感じる。出発前の不安感は無事に研修を終えた安堵感と充実感に切り替わっていた。生涯忘れることができない素晴らしい思い出と、同じ体験と感動をともにした団員の先生方と知り合えた事も心の財産となった。最後にこのような機会を与えてくださった関係の方々に深く感謝します。

【水の流れ】名古屋空港に到着して、出国て続きを終了。早速、お世話になって二週間留守にしていた学校に電話を入れる。また、当然!我が家にも電話する、でも土曜日だから・・・。ここで、皆さんとの有意義な研修視察旅行の解散式を簡単に行い、皆、それぞれのルートで帰宅の途に着く。私は団員であった近くの友人の奥さんの車で小牧を後にして、一宮インターかた名神高速道路に入り、大垣インターで降りて、ありがたいことに我が家まで送り届けてもらった。お礼の品物をすぐにあげましたが。簡単はお昼を取って、すぐに眠りにつく。時は、平成6年9月24日ことでした。


N040:9月23日<15日目>(金:曇)12:45まで帰国準備のための自由時間 13:00ハイアットホテル出発 13:30 パース空港着 15:15シンガポール行SQ224便に搭乗 16:00パース空港離陸 20:45シンガポール空港着 翌朝の1時50分発のSQ982便名古屋行搭乗時間まで自由時間

【所感】今朝のパースの空は雲多し。少し肌寒さを感じる。ホテル出発時間まで、帰国準備とパースでの最後の半日を過ごす。誰の顔も、研修が無事終えた満足感と全員無事帰国できる喜びで明るい。ホテルから空港までのバスの車窓を流れる景色も研修の思い出をフィールドバックさせてくれた。機内では離陸時の緊張感から解かれ、機にすべてをゆだねた今、機内食の日本語のメニューにほっとさせらる。眼下は、雲の絨毯、ときどきコバルト色の海面が覗く。そして、空の圧巻は、雲に沈む陽光と夕焼けの景観である。あたかも我々の研修への拍手とも感ずる。

【水の流れ】9時頃までに、荷物の整理をして、トランクをフロントに預ける。もう2度と多分来ないであろうと思いつつ、歩いて、ロンドン・コートに向かう。ちょっとした市民とのふれあいを感じようと思って、百貨店みたいな所に入る。ちょっとした家族へのお土産を買う。今では何を買ったか記憶がなくなっているが。ここで、他の団員と会うことができて、日本食の店で昼食を取り、タクシーでホテルに戻る。パース空港に早く到着したが、旅行中の最大の不手際が生じた。全員カンターの前に並んでチケットをもらう際に、航空会社がSIN→NGO(チャンギ空港から名古屋)のトランジットチケットが忘れていたのでした。一人ずつ15分かかる再度の発行です。私達はただひたすらこの場に立ち往生です。幸い早く来ていて助かったのですが。搭乗手続きには時間がかかるので、荷物をおいて、また、空港内でのお土産店に入る。懐に中はまだ、オーストラリアドルが残っていたかた、すべてコインになるまでお土産を買うことにした。オーストラリアの50セントコインには、いろいろな種類があることに気がつく。聞くところによれば、そのときの記念硬貨みたいで、発行されていること。6角形の形をした角角したのが印象的でした。3時過ぎには、出国手続き完了です。離陸後、機内の窓から昨日走った、町や人の様子が全然感じられない広大なピナクルスの海岸線が空からよく見えた。砂丘って感じです。また、目がステュワーデスにいくと、シンガポール航空は綺麗な人が多いです。オーストラリア入るときもそうだったのですが、ちゃかり、写真に撮っておきました。ワインサービスには、つい白ワインを頼む。そうそう、シンガポール航空は飲み物ビール・ワイン等は無料ですから、団員の方は多いにワイン・プリーズ、ワンモアー、ビヤー・プリーズを連発しておられた。私のワインのおかわりをしました。そして、ディナーです。メニューは前回のフライトと同じで、子羊のラム。実にうまい。最高の味。さっきからステュワーデスがどことなく、日本人に似ています、けど、英語をしゃべっていますので、日本人ではないのですが、聞いてみると、チャイニーズ系とのこと。午後9時頃に、チャンギ航空に到着。待合いロビーで、時間を費やす。またまた、今度は、シンガポールドルを全部使うために、お土産店に入る。日本より安いと思われるので、友人3人のお土産にウイスキーを3本買った。ここでも、和コインにして、ドル紙幣の待ち合わせをなくした。財布の中には、マレーシア・シンガポール・オーストラリアの3国のコインを日本に持ち帰ることになった。これも記念になっています。深夜12時を過ぎても、なかなか眠れない。


N039:9月22日<14日目その3>(木:晴)【水の流れ】朝8時に3台の4WDに乗ってのピナクルズツアーは、夕方6時45分にホテルに戻ってきました。7時から、ホテルのレストランで全員そろって、オーストラリア最後の夕食会となりました。団長の挨拶・添乗員さんへの謝辞・この旅行中に誕生日を迎えられた2人の団員のお祝いも合わせて行いました。メニューは、パン、バター、ビール、サラダ、メインは、ジャンボなテイーボーンステーキで決まりです。それぞれが今日までの思い出を語り合いながら、楽しい夕食でした。午後9時30分終了。部屋にもどって、シャワーを浴びる。パースでの最後の睡眠となる。


N038:9月22日<14日目その2>(木:晴)【水の流れ】パース最後の日は、オプショナルツアー「ピナクルズ」です。このツアーのために特別に作られたという4WD3台に分乗して、500kmを走ります。今回のガイドも、日本人女性、留学して知り合ったオーストラリアのエンジニアと結婚したとのことでした。最近、オーストラリアでは、国籍を取るということが大変厳しくなってきているということで、偽装結婚で国籍を取るといった問題も出てきているそうです。結婚をしたので国籍を取りたいと申請すると、夫婦が別々に呼び出されて、いろいろ細かい質問を受けるそうです。
こんな話を聞いていると、突然「あっ、カンガルー!」の声、道路にカンガルーが倒れています。車に跳ねられたのです。カンガルーは、夜行性で夜になると、舗装にたまった雨水などをなめに出て来るのだそうです。車が近づいても、目があまりよくなくて、逃げるどころか、車のヘッドライトに近づいて跳ねらることが多いそうです。で、100kmほどで走っているのですから大変です。大きなカンガルーなどだと2mもあるのですから、衝突で車が壊れたり、跳ね上げられフロントガラスを割って運転席に飛び込んでくる事故までおきるそうです。そこで、このあたりを走る車には「カンガルーバンパー」と呼ばれる丈夫な鋼鉄パイプで出来たような専用のバンパーが着けられています。
私達の車のドライバーは原住民出身者でした。原住民でこのような観光ツアーのドライバーになったのは、私が最初でしょうと話をしてみえました。今でも、カンガルーの肉(養殖されています)はよく食べているという話でした。父母は、もうごく普通の生活をしていたそうですが、祖父はまだ原住民の生活をしていて、子供のころ、そのおじいさんと一緒に、狩りを教えてもらったり、牧場では、牧童のまねをしてシ−プドックをあやつる指笛(ピーイー、ピーピピピ、ピーイーピー。)を吹くことができるそうです。だから、ブッシュの中からカンガルーやエミュー等の動物を素晴らしい狩人の視力でみつけて、私達に紹介してくれます。道路脇の綺麗な花ぞのでは、休憩して写真に収めました。実は、ここでは、「花を採ったら、罰金ですよ」とガイドさんが言っていました。日本で言うと、高山植物っていう感じです。
車は海岸線に出て来た。インド洋は今日もエメラルド色。遠方に白い岩が点在する砂丘があった。ガイドさんが「いよいよ、ピナクルズが見えてきました。ここは、カルスト地形で、鍾乳洞が風化してしまったものです。砂丘の中にはとても変わった形の石柱が立ち並んでいます。その昔、クック船長は沖合からこの場所を見たときに、たくさんの人々が立っていると思ったそうです。」ピナクルスの奇岩地帯に入った。管理事務所前で入場手続きをしてからパンフレットをもらったが、全部英語です。写真をから想像するしかありません。私達は車から降りて、ゆるやかな坂道を歩き始めた。一番高い岩石に登って、記念写真を撮る。遠くのインド洋が青が目に入ってくる。何もかも忘れられる境地になる。最高の気分。決して日本では味わえない。やっと、車にもどって、平屋のドライブインに入る。遅い、昼食を取る。パースから朝運んできた、お寿司弁当(添乗員の心遣い)です。そこで、ピナクルスと名の入った帽子とコアラの写真入りTシャツ2枚を買った。その後、球技大会や体育大会のときに着て、当時を懐かしく思い出しています。(生徒に見てもらいたいし・・・)  帰り道、切り通しを抜けて、海岸を走る。鳥取砂丘とはスケールが全然違う。ちょっと、降りて、コーヒーとケーキで休憩。サラサラとした砂、手にとって気持ちのよい感触。風紋が美しい。ここでも、記念写真を撮る。時間は午後3時ころ、途中、ガソリンスタンドに寄って、4WDのタイヤの空気圧を高くして、洗車をする。ホテル着午後6時45分。疲れた。車内で、今夜はホテルのレストランで添乗員さんの「ご苦労さん会」が決まる。


N037:9月22日<14日目その1>(木:晴)8:00 ホテル出発 10:30 カスター(休憩)12:20 サーバンテス(昼食)13:30 ピナクルス 15:00 海岸にて休憩・巨大砂丘 17:15(休憩)18:45 ホテル着 19:30 添乗員の伊勢森さんご苦労さん会(また、研修中に誕生日を迎えられた二人を祝福する)

【所感】3台のの4WDで冒険ツアーに出発。途中休憩をとりながら目的地ピナクルスへ。深い緑につつまれた雄大なる牧場に放牧されている羊・牛・山羊の姿、野生の美しい花々(エバーラステイン・ブラックボーイ・カンガルーポーなど)、カンガルー・エミュー・毒トカゲの姿を見ながら目的地に到着。石灰石の尖格がにょきにょき3〜4kmつづく原生林の化石群は神秘的で3億年前の世界にやってきたようであった。最後に巨大なる砂丘を走破し、石灰石のでこぼこ道に耐えたツアー(約11時間)も無事終了した。

パースの北約300km、ナンブング国立公園にある奇岩群、黄色色の砂漠に、何百という岩が突き出ている。これらは、かつて海底に沈んでいたもので、長年の風雨にさらされて、この写真のような風景になったという。荒野の墓標よ形容されたりもするが、実際に訪れてみたら、まるで、別の星に降り立ったような錯覚を覚えました。


N036:9月21日<13日目その4>(水:曇りのち晴)【水の流れ】ホテルへ4時頃バスで戻ってきました。添乗員の伊勢森さんが、レセプションの担当者は18時ロビーの奥に集合:明日は、オプションナルツアーでピナクルス砂漠へ行きます。太郎さんは、係でないので部屋にもどって、シャワーを浴びて、ベットで仮眠することにしました。18時に、スーツに着替えて会場に行くと、既に、準備が整っていましたし、来客がそろそろ集まって来られています。来客や私たちは名札をつけていますが、なかなか会話とはいきません。レセプションの開会です。司会者が「皆々様、我々のレセプションパーティにようこそいらしゃいました。この2日間、大変お世話になりました。今晩は、そのほんの一部分だけでもお返しをさせていただきたいと思います。しかし、我々はまだ研修旅行の途中であり、誠に不十分なおもてなししかできないことをお許しください。」団長の挨拶、各学校の挨拶と続いて、やっと「乾杯!」です。隣が必ず現地の方です。自己紹介と日本からのプレゼントを渡さなければなりません。太郎さんは、前回のマレーシアとときと同じように、「風呂敷、箸、家族の写真、勤めていた学校案内 =英語バージョン等」を渡しました。隣の年配の男性が、多分、こんなことを英語で言われました。「あなたは、家族と連絡をとって電話をかれれましたか。」何せ、この研修中にシドニーのホテルから1回きりでしたので、そのようなことを英語で伝えました。英語力の必要性をここでも感じた次第です。和やかに、ビールを飲みながら過ぎていき、男子は「荒城の月」を、女性は「華」を歌って披露しました。ここで、黒いスーツの40歳代の先生と先ほど、プレゼントを渡した先生と一緒に写真を撮りました。これがそうです。

次に、新聞紙でカブトの折り紙や折鶴を折って渡しましたし、折り方を目ぶり手振りで伝え、折ってもらいました。さらには、書道教室も開かれ、「平和」「愛」という文字が書かれていました。うまいものである。お客様も不思議そうにかつ楽しそうに、見たり書いたりして見えた。この先生の姿をみていると、何か1つ特技をもっていると、いろんな所で生かせるなー。オードブルは隣の部屋においてあります。女性と一緒にぶつかって取りに行きそうになったとき、ここはレディー・ファーストの国です。これを太郎さんは忘れていて、大失態です。以後、絶対に気をつけねばならないと肝に銘じた次第です。デザートとコーヒーが運ばれて来た。そろそろ宴も終わりに近づいてきました。再び、合唱隊の出番です。混声合唱で「贈る言葉」を大声を出して歌いました。とっても気持ちが良かったことを覚えています。最後に終わりの挨拶の中に、「オーストラリアの大地やコインは大きさには驚いたが、ビールの大きさは日本の方がでかい」とジョークを混ぜながら、大きな国の中にある自由な雰囲気を賞讃し、「これからの日本の教育に参考するものを多く見つけ出すことができました」と結ばれた。さすが、お手のものです。すべて、終わって、団員一同、中央ホールへ続く廊下に並んで、再会を誓って握手をしながら、お客様を見送った。部屋の戻って、眠りに就く。


N035:9月21日<13日目その3>(水:曇りのち晴)【水の流れ】[Ardoss Primary School] Applecross Senior High Schoolに隣接し校舎の周囲にはユーカリの巨木と芝生が張られていた。玄関の壁は淡いピンクで落ち着いた暖かい印象があった。数年前までは教育行政の厳しい変化があったが、今は落ち着き学校に自主権が与えられ、優先教科や重点目標を民主的に決定し、保護者の理解を得ている。資金面では保護者より年間50ドルの寄付があり、他にもマラソンでも寄付金を募っていた。校舎は平屋でコの字に配置され低学年と高学年のクラスが近くになっていて、工夫されている。教室から出るとすぐに中庭があり、10分間の休みには子供たちが外にでてそれぞれ運動をしていた。教室には生徒の作品がカラフルに掲示され、子供の服装も実にカラフルで赤、黄色、緑のどれかを着ていて、動きやすそうなトレーナーでした。子供の伸び伸びした表情で学習に参加し、基本を重点目標にして取り組まれていた。1年生の授業では楽しく本読みを披露してくれた。絵やゲームを通して単語を覚え、4つの班に分かれて成果を競い合っていた。外国の子供7人に別の教室で英語を2年間しっかりと教えている。体育と美術などは、それぞれのクラスに戻っていきます。個人を大切にする教育を感じさせられる雰囲気があり、日本の子供が2名学習していた。

オーストラリアは日差しが強く皮膚ガンも多いということで、みんな帽子をかぶっています。水遊びをしている子のためにカッパが用意してあるのもおもしろい文化の違いです。昼食の時間になりました。子どもたちは家から食事を持ってくる子と学校で頼む子がいます。朝頼むとクラスごとに注文したハンバーグやサンドイッチが籠に入れてあるので、係が教室に持っていくのです。以外と注文の数は少ないようです。中庭の芝生や、廊下のベンチなど教室以外で食べることになっているようです。教室を回っていると、廊下に机と椅子を出して勉強している子がいます。私たちが通っても別に悪ぶった顔もせずに勉強をしています。「あれは、どうしたのですか」「注意を受けているのです。まず、最初は名前を呼んで注意をします。それでも駄目な子は席をかえます。その次は廊下にでてもらいます。それでも駄目なときは、反省の部屋にいくことになります。反省の部屋では、朝からしゃべってはいけないのです。無言で反省して、先生との誓い作文を書くのです。家にも連絡します。」どこの国でも、問題児はいると感じました。


N034:9月21日<13日目その2>(水:曇りのち晴)【水の流れ】[Melvile Primary School] 8時30分ごろ学校につくとまだ授業は始まっていなかった。玄関横の小運動場では黄色の制服を着た子供達がボール遊びをしていた。校長先生に、先生方の休憩室に案内され、そこで学校の概要について説明をうけた。この学校は周辺15校の中心的な学校で、PEAC=Primary Examination and Charange(特別優秀学級)の会場になっており週に半日、15校の特に能力的に優れた200人が自分の特性に応じて講座を受講するシステムになっている。校舎はすべて平屋建てである。7ヘクタールの広い敷地に余裕をもって建てられている。生徒数は現在は350名で、広い敷地の中で伸び伸びと学習をしている。図書館が整備されていて2人の司書が運営にあたっている。ちょうどブックフェスティバル(図書館祭)の時期らしく飾り付けがされていた。コンピュータ室も整備されていて児童一人一人が操作していた。日本と少し違っていたのは異学年どうしのクラス編成が会ったことだ。(1年26人、1・2年25人、2年30人)で先生が3人というように1・2年の複式学級ができている。複式学級にはそれぞれの学年の優秀な児童(自主学習ができる)で編成をするとのことだ。教室の中には児童の作品で一杯であり、その中で子供達は、伸び伸びと活動していた。あるクラスでは、「私は、水泳のチャンピオンです。」とか「何々のコンクールで入賞しました。」と誇らしげにカップやメダルを披露していた。人の個性を認め、伸ばす教育の一環であると理解した。教室に貼ってある生徒作品です。

ここで、PEAC(特別優秀学級)の説明をします。担当の先生が「PEACという制度は、この国の将来を担うリーダーを育成することを目的として、10年前に始められました。地区ごとに、5・6・7年を対象にして、特別優秀な児童を選抜し、一カ所のセンターに集めて、その子その子の適性に応じた高度の教育を施すというものです。この地区では、15校から200名程度が参加していて、16人ずつのチームを作って活動しています。一人は一週間に半日ずつ、10週間続けて参加します。ここへ来た子供達は、コンピュータ、ロケット、数学、科学などの中から、自分の興味にしたがって学習内容を選択するのです。」私達が質問しました。「子供達は、どのように選抜されるのでしょうか。それから選ばれた子供や親にはエリート意識がありますか。」回答」「参加者は、4年生に進級するときに行われるテストによって選択(Choice)されます。当該学年の児童全体の4・5%くらい選びます。さらに、テストに合格しなくても、教科別に優秀な子は担任の先生が推薦することになっています。ここに集まる子たちはエリート意識を持つというよりは、やりたいことを自由にやれる点で楽しさを感じています。」質問「この制度に対して、親や周囲の大人からは不満が出ませんか。」回答「この制度が運用され始めるときは、目的や方法、それに将来の構想などがの説明が社会全体に十分になされ、また、多くの議論もなされました。そうして、『才能を発掘し、伸ばすことこそがこの国を発展させることになる』という社会的なコンセンスを作り挙げることに成功そました。社会全体から『この制度は国に必要なものである』と受け止められていますから、不満などは出てきていません。」質問「優秀な子たちへの対応はよく分かりました、低いレベルの子たちに対しては、何か特別な制度はあるのですか。」回答「Low Levelの子供たちには、ESC(Education Support Center)が対応しています。学校心理学や教師がテームを作り、一人一人の抱える問題に応じて、学習の仕方や生活の仕方の援助を行っています。」ある仲間が「国を伸ばすためには、リーダーの育成が大切という考えが徹底している。また、同時に、一人一人を大切にすることもなされている」と感想を持っておられた。凄い制度です。日本では到底無理な制度ですが、


N033:9月21日<13日目その1>(水:曇りのち晴)8:15 ホテル出発 イースト・フリーマントル他3校の小学校 授業参観と質疑応答 昼食後、ジョンカルテインシニアハイスクール他3校訪問 授業参観と質疑応答 16:00 ホテル着 19:00〜22:00 返礼レセプション

【所感】当地に来て始めての曇り空。4班に別れての小学校訪問、保護者と連絡し合って優先科目を決定したり、各学校独自の展開がなされていることに感心した。芝生の中荷庭を囲むように教室が並び、芝生の上でのどかに昼食をとっていた姿も印象に残った。アプルクロスシニアスクールでは、多くの選択科目が用意され、実習設備の良さやサポートテイチャーの働きぶりも素晴らしかった。クラスの人数も少なく、自由で活発なコミュケーションにより展開される授業だった。夜は溌剌とした先生方を迎えての交流会、大変な盛り上がり語学力のついた先生も多かった。
 

過去の「海外視察日誌N03」オーストラリア(パース・フリーマントル)編ここをクリック下さい。

過去の「海外視察日誌N02」オーストラリア(シドニー・エアーズロック)編ここをクリック下さい。

過去の「海外視察日誌N01」シンガポール・マレーシア編ここをクリック下さい。

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