<水の流れ> (私の一日NO44)

震え上がるような数の神秘を知るためにあなたは青春をかけてみないか!

N019:2002年1月10日(木)「kashiwagi」さんから、前回示した問題で、解法の完成版を頂きました。
f(x)=1/(1+x)=1−x+x−x+x−−−−−
−f'(x)=1/(1+x)=1−2x+3x−4x+5x−−−
f''(x)=2/(1+x)
f'''(x)=− 6/(1+x)
この式にxをかけて、
−xf'(x)=x/(1+x)=1x−2x+3x−4x+5x−−−−−
この式をxで微分して、
−f'(x) −xf''(x)=1−2x+3−4+5− −−−−  @
ここでxに1を代入すると、
−f'(1) −f''(1)=1/4−1/4=0=1−2+3−4+5− −−−−
後はこの操作を繰り返すだけ、即ち、@に再度xをかけ、微分してxに1を代入する。

N018:2002年1月9日(水)何と出かけるとき、すごい吹雪で、車の運転に支障をきたすほどでした。生徒は徒歩や自転車や最寄りの駅まで電車で苦労して登校してきました。
 さて、「kashiwagi」さんから、前回示した下の問題の解法のコメントを頂きました。
第89回の応募問題「奇数の積の和」の
「解答」の中に書いておいた次のような問題の解答まで届いていましたから、オイラーの偉大さを垣間見てください。
 1−x+x2−x+x−x+・・・=(1+x)−1を利用して、次の無限級数が不思議な値になります。
問1:1−1+1−1+1−1+・・・=1/2
問2:1−2+3−4+5−6+・・・=1/4
問3:1−2+3−4+5−6+・・・=0
問4:1−2+3−4+5−6+・・・=−1/8
問5:1−2+3−4+5−6+・・・=0
問6:1−2+3−4+5−6+・・・=1/4
問7:1−2+3−4+5−6+・・・=0
問8:1−2+3−4+5−6+・・・=−17/16
問9:1−2+3−4+5−6+・・・=0
問11:1−2+3−4+5−6+・・・=31/4
「kashiwagi」のコンント:『更に冪数の多いものを考えておりましたら閃きました。上手く式を変形することしか考えておらず、かなり時間を費やしましたが、困ったときには発想の転換fをやれば上手く行くのですね。
f'(x)+f''(x)にxをかけて、微分すれば本当に簡単にできますね。しかも、これなら冪数が多くなっても何の苦労もいりませんね。xをかけて微分した式に更にxをかけ、微分すれば良いのですね。
後は、同様の操作を繰り返すだけですね。時間はかかりましたが、面白く、奥の深さを感じさせて頂きました。』

N017:2002年1月8日(火)岐阜県と滋賀県の県境にある雪化粧した「伊吹山」です。高さは1377mで、麓にはスキー場もあります。夏は、頂上近くの駐車場まで車で行けます

N016:2002年1月7日(月)昨日の「暦」の続きです。
『日本が太陽暦(グレゴリオ暦)へ改善したのは明治5年のことです。それ以前は月のみちかけを基準とした太陰暦が使われていた。朔望(さくぼう)月つまり朔(ついたち)から次の朔までの周期は旧暦の一か月で29.5日である。そこで旧暦では29日の小の月と30日の大の月を交互に置くことにした。こうすれば平均の一月の長さは29.5日になる。
 ところが、実際の朔望月は29.5日より0.030589日長い。そこでたとえば17ヶ月ほどたつと、端数が0.5日強になるので、これを消すために、小の月を大にして大の月を2ヶ月連続させるようにした。これを連大などと読んだ。
 さて、暦の大切な役割に一つは季節を知ることであるが、太陰暦ではこれがわからない。一太陽年は365.2422日であるから、これと一太陰暦年との差は365.2422−354(29.5306×12)=11.2422 で1年で暦と季節が約11日ずれてしまう。この端数が3年で約1ヶ月になるので、これを調節するために閏月という余分な月を入れて、1年13ヶ月の閏年を作った。閏年の日数は平年に比べると30日ほど多くなる。
 日本で実際に行われたものを調べてみると、1年は平年で353日、354日、355日の3種類、閏年では384日、385日の2種類あるから1年の長さが5種類もあったことになる。』 そういえば、今日から学校が始まりまして、始業式のあと、午前中、課題テストを行いました。午後から2限授業です。明日は、残りの課題テストが3限行われます。生徒も大変です。
  

N015:2002年1月6日(日)今日も、午前中、部活指導のため、学校に行って来ました。OBが集まってきて、12日から始まる地区新人戦の練習に役立ちました。感謝します。さて、今使われている暦について、お話を書きます。
『現在の暦が使用されるようになったのは明治6年1月1日から。この日はそれまで使用されていた天保暦では、明治5年12月3日に当たる。ですから、明治5年の12月は1日と2日の2日間だけです。
この改暦が正式に決定されたのは、明治5年11月9日のこと。「太政官布告(第337号)」という法律によってです。法律の公布から、実際の改暦までの期間が1ヶ月もないという慌ただしさです。明治の改暦は突然で、十分な検討もされないまま施行されたので、多くの誤りや問題点を残したままでした。そこまでして明治新政府が改暦を行った理由には、深刻な財政問題があったといわれている。というのは、従来の暦では翌明治6年は閏年で、閏月が入るため1年が13ヶ月あることになっていました。
既に役人の給与を年棒制から月給制に改めた後なので、明治6年には13回、給与を支払わなければなりません。これは、財政難であった明治新政府にとって悩みの種でした。その上、太陽暦に切り替えることによって、明治5年の12月は2日しかありませんので、この月の月給は支払わないこととすれば、明治5年分の給与も1月分減らせる、正に一石二鳥の改暦だったわけです。』

N014:2002年1月5日(土)午前中、部活指導のため、学校に行って来ました。さて、新年の始めに、下記のようなお話を頂きましたので、紹介します。
『有限な平面(X軸及びx=a Y軸及びy=bに囲まれた平面)内における直線(線分)の持つ性質について色々考えてみました。すると無限な平面においては、判らなかった面白さに出会ったのです。
 例えば、その比をNとして、各々の中点と中点を結ぶ直線を考えてみます。この時、この直線を対称な軸とする、少なくても1つの頂点の位置はこのaとbを各々 (N×N) / (1+N×N)に分割するのです。
この有限な平面をペーパーに見立て、その面白さの一部を、書きましたのでご覧下さい。
                  『折る紙の数学』講談社ブルーバックス              渡部  勝
この本を、昨年秋頃に購入し、太郎さんの手元にあります。皆さんも、是非お読みください。

N013:2002年1月4日(金)早いもので、冬休みの残すところ、5日と6日の二日間です。7日から、始まりいきなり5教科の課題テストです。生徒にとって、短い休みにです。さて、昨日の雪は小康状態です。幹線道路は、ブルで除雪してしてあるから、車で通りやすくなっています。でも、村の中の道路は、圧雪されて、所どころに轍ができています。対向車がきたら、どちらかが、待避していなければない状況です。
 次に、早くも第90回の応募問題
「交代級数の和」の解答が「kashiwagi」さんから届きました。拝見すると、こちらの予定していた解答通りでした。流石、お見事!「kashiwagi」さんありがとうございました。正解です。いずれ、時期を見て更新させてもらいます。
また、第89回の応募問題「奇数の積の和」の
「解答」の中に書いておいた次のような問題の解答まで届いていましたから、オイラーの偉大さを垣間見てください。
 1−x+x2−x+x−x+・・・=(1+x)−1を利用して、次の無限級数が不思議な値になります。
問1:1−1+1−1+1−1+・・・=1/2
問2:1−2+3−4+5−6+・・・=1/4
問3:1−2+3−4+5−6+・・・=0
問4:1−2+3−4+5−6+・・・=−1/8
以下は、「kashiwagi」さんの解答
『あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくご指導の程お願い申し上げます。
f(x)=1−x+x−x+x− −−−− =1/(1+x)を何回も微分すれば良いのですね。
 もしやと思ってやってみましたら4題とも解けました。しかし、最初は微分は1回しかせず、ずっと考えておりました。まさか3回もやるとは思いませんでした。
 1〜3回の微分式を以下の様に表す。計算式を書くのは面倒なので省略させて頂きます。
 f’(x)=−1/(1+x)
 f’’(x)=2/(1+x)
 f’’’(x)=−6/(1+x)
問題を上から順に@、A、B及びCとすると、
問1:f(1)=1/2
問2:− f’(1)=1/4
問3:f’(1)+ f’’(1)=0
問4:f’(1)+ f’’(1)+f’’(1)+ f’’’(1)
    =f’(1)+2 f’’(1)+ f’’’(1)
    =−1/8  となります。こんなのでよろしいのでしょうか』
<水の流れ:コメント> もう少し工夫して、微分した式のxに1を代入すると、簡単に出てきます。さらに、この方法には続きがありまして、
問5:1−2+3−4+5−6+・・・=0
問6:1−2+3−4+5−6+・・・=1/4
問7:1−2+3−4+5−6+・・・=0
問8:1−2+3−4+5−6+・・・=−17/16
問9:1−2+3−4+5−6+・・・=0
問11:1−2+3−4+5−6+・・・=31/4
 尚、これらの問題の出典は、「理系への数学11月号」ですので、ご承知ください。

N012:2002年1月3日(木)何と、起きてみたら、昨夜からの雪が降り積もって、積雪40cmにも達していました。11月頃から、山に「がめ虫」が異常発生して、家屋に入り込んでいました。大変くさいにおいを出す虫です。で、この地方に、「がめ虫」が異常発生するとき、大雪になるという言い伝えがありまして、心配はしていました。12月から暖冬で、年末まではこの気配も無かったのですが。
 昔からの言い伝えは正しいかったようです。太郎さんは、午前と午後に、庭木の枝が折れないように雪を払らい、庭先と車庫前の雪どけに精をだしていました。テレビで中継されていた関東大学箱根駅伝の天候は快晴でしたので、この地方だけ、どうして、こんな大雪なんだろうと想いつつ除雪をしていました。休みの日で助かったみたいです。皆さんの地方の天候はどうでしたか。

N011:2002年1月2日(水)元旦にメールや年賀状が届き、嬉しく思っています。その中のを紹介します。「雪の旦(朝)、おもやのけぶりの めでたさよ」<とっても上手な毛筆で書かれてあります。達筆と馬をあしどった鑞に金色が吹き付けられています。時間と俳句に感動>
「時々、先生のHPをのぞかせてもらってます。そして、元気パワーを分けてもらっています。」<教え子からです。卒業しても、なぜか、教室で熱心にノートを取っている姿に錯覚しそうです>
「いつもありがとうございます。本年も『水の流れ』のご活躍を期待しております」<恐れ入ります。恐縮します。これからも、皆様の期待に添えるかどうか分かりませんが・・・、最善を尽くしていきます>
「先日、『数の世界』を訪れたところ、35324番目でした。中身が充実していたのでビックリ。地道な努力の成果に脱帽!!これからも頑張ってください。」<学生時代からの知り合いで、同じ数学科の同僚からです。>
「明けましておめでようございます。皆さんお変わりありませんか。僕の方は相変わらずです。特に年末年始はあわただしい日々が続きます。今日も後援会の方たちの家へ挨拶に伺って来ました。こちらは、毎日雪が降り、氷点下の日が続いています。家の周りはすっかり雪の壁ができています。まさに雪との戦いですね。」<北海道に住んでおられる恩師からです。>      このように、皆さんからの励ましを糧にこれからも、時間を見つけながら、HPを更新していきたいです。みんなさん!ありがとう。元気に頑張ろうね。

N010:2002年1月1日(火)皆さん!明けましておめでとうございます。旧年中大変お世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いします。

N09:2001年12月31日(月)2001年平成13年の大晦日にあたり,一言ご挨拶申し上げます。1年間の総アクセスが2万を越え、多くの方に何かとご指導を賜り、誠にありがとうございます。皆様のご理解とご協力に感謝します。
 さて、2002年元旦に、第90回の応募問題
「交代級数の和」をアップします。今回も、オイラーが書いた「無限解析」の中にある問題で、参考にして作問しました。でも、オイラーの足下にも及びませんが、気持ちだけは・・・

N08:2001年12月30日(日)太郎さんは、午前中、日本昔話に出てきるような石のうすときねで鏡餅をつきました。つきたてのお餅をちぎってきな粉をまぶしていただきました。
 昨日の継子たてについて、「数学100の問題」数学セミナー編集部<日本評論社>から、引用して、さらに紹介します。
継子たてはわが国では古くから知られていた。一説には藤原通憲(みちのり)(1106〜1159)の作ともいう。通憲は博学多才の人として知られており、継子たての作者として似つかわしい人物ではあるが、その根拠ははっきりしない。古い文献で継子たての名が出てくるには、吉田兼好(1283〜1350)に著した「徒然草」である。その137段「花は盛りに、・・・」の条で、人の死を継子たてにたとえている。
 さて、第89回の応募問題「奇数の積の和」で寄せられた
「解答」を更新しました。いつも、ご応募頂き、誠にありがとうございます。今回は、オイラーが書いた「無限解析」の考えを参考にして作問しました。

N07:2001年12月29日(土)では、恒例になりました高校生のための図説数学史(現代数学社:田村三郎著)から「初期の日本の数学」の部分を引用します。
<その3>「塵劫記」中巻には、「船のうんちんの事」のような問題もあるが、主として面積や体積計算の問題である。下巻は興味深いパズル的な問題が多く出ている。第一「継子立ての事」は有名であり、継子15人、実子15人計30人を円形に並べ、10人ごとの子をのけ、最後に残った子に遺産を与えようとする問題である。
 第三「たち木の長さをつもる事」は、はな紙で直角二等辺三角形を折って、木の高さを求める実用的方法で、現在でも十分に利用できる。第五「ねずみ算の事」とか、第十一「あぶら算の事」など、現在でもパズルとして十分通用する問題である。
 第十六「6里の道を4人で行くとき、馬は3頭しかいない。不公平のないよう、誰も同じ道のりを歩き、また同じだけ馬に乗れるようにするには、どうすれば良いか」という問題である。答えは、4人のうち1人1里半ずつ歩き、あとは交代にすれば良い。
 では、継子立ての答えですが、実子を○、継子を●と次のように並べたとき、最後の10人がすべて実子になっています。○○●○○○●●●●●○○●●○○○○●○●●●○●●○○● (覚え方:21352241131221)皆さん!こんな並び方とっさに浮かんできますか。何かのときに覚えておくと助かるかも。

N06:2001年12月28日(金)では、恒例になりました高校生のための図説数学史(現代数学社:田村三郎著)から「初期の日本の数学」の部分を引用します。
<その2>京都嵯峨の吉田光由(1598〜1672)は、寛永4年(1627年)に「塵劫記」を著し、江戸時代を通じてのベスト・セラー、ロング・セラーとなった。この本は中国でもベスト・セラーになった。「算法統宗」を手本としており、懇切丁寧なそろばんの入門書である。庶民に必要な日常諸算が取り上げられていて、絵入りの親しみのある名著であった。(岩波文庫の中に復刻本がでている)
 上巻の内容を見てみよう。第一「大数の名の事」・・・一十百千万億兆京垓・・・という位取りが出ている。最後は不可思議、無量大数で終わっている。
第二「小数の名の事」・・・両文分厘糸忽・・・となっている。後世になって、分厘以降だけが小数単位として使われるようになった。
 第三以降、諸種の単位が続き、九九、割算九九が、そろばんの図とともに述べられている。
 第十以降、「米売りかひの事」「俵まわしの事」「俵すぎざんの事」「蔵に俵の入りもつの事」「小判両替の事」「よろづ利足の事」「きむもめん売りかひの事」など、日常生活に必要な諸計算が述べられている。明日は「塵劫記」の中巻の話です。

N05:2001年12月27日(木)隣の親戚で不幸があり、昨日、今日と2日間、お手伝いをしていました。「私の一日」が更新できずにお許しください。
では、恒例になりました高校生のための図説数学史(現代数学社:田村三郎著)から「初期の日本の数学」の部分を引用します。
<その1>戦国時代から室町、織田・豊臣の時代になると、城下町が形成され、商工業も発達し、一般庶民も日常生活の中でいろいろと計算をする必要が生じてきた。その頃、中国や朝鮮との交通も盛んとなり、中国の数学書やそろばんが輸入された。これまでの不便な算木とは違って、そろばんは非常に簡便であったため、たちまち日本全土に普及していった。
豊臣秀吉に仕えた毛利重能は、大阪と神戸の中間の武庫川あたりに住み、「割算天下一」と号して数学を教えていた。元和8年(1622年)、割算に関する著書を発行している。その序文には、「割り算はアダムとイブが禁断の木の実を二つに分けて食べたときに始まる」という意味のことが書かれている。このようにキリスト教の影響はあるが、ヨーロッパ数学の影響は見受けれれない。
 同じ元和8年に、佐渡の百川治兵衛が、数学者「諸勘分物」を出している。僻地佐渡でも、このような本が出版されているところをみると、数学の必要性の気運が、全国各地にみなぎっていた証拠だといえよう。百川はキリスタンの疑いで投獄されている。
明日はお馴染みの吉田光由(1598〜1672)のお話です。

N04:2001年12月25日(火)昨夜のクリスマスイブを楽しくお過ごしでしたか。太郎さんの家では月並みですが、家族でケーキを食べました。今日は、午前中、部活のバスケットと午後、1月からの教材準備(課題試験の作問等)をしていました。数学の問題を考える時間が欲しい。年末まで、仕事が予定されています。
 

N03:2001年12月23日(日)今日は朝から一日、岐阜高工業高等専門学校へ、バスケットの練習試合に行って来ました。結果を書きます。大垣南63対85岐阜高専(岐阜地区の国立)、大垣南24対38益田南(飛騨地区の県立)この結果はハーフです。大垣南68対78清翔高校(岐阜地区の私立)でした。まだまだ力不足です。センターの役目をするレギラーがいたらと思っていますが。
 20数年来、お世話になっているバスケの顧問(数学の教授)にお会いできて懐かしいかぎりです。これからも、ときどき練習試合をお願いします。また、数学のアドバイスもお願いします。

N02:2001年12月22日(土)昨日は、終業式で、帰りが遅くなり、HPの更新ができませんでした。皆さんにご迷惑をおかけしました。さて、午前中は、部活(バスケット)に行って来ました。寒い体育館では、太郎さんには堪えます。生徒は元気よく練習に励んでいますが。明日は、練習試合を計画しています。
午後は、家族併せて、4種類の年賀状作りです。今年も残り少なくなりました。皆さんもお元気でね。

N02:2001年12月20日(木)「kashiwagi」さんから、第89回の応募問題「奇数の積」について、次のようなコメントを頂きました。
『89回の解答を送付致します。今回の問題は解いていて非常に感嘆致しました。そうです、奇数の積の組み合わせの総和がこの様な微分と深く関わっているとは−−−。
勉強になると同時に数学の奥の深さを思い知らされました。しかし、この様な事を誰が考えつくのですかね、正に天才しかいないのでしょうね。天才という言葉はあまり好きではありませんが、認めざる得ません。
 偶然本欄を見つけ、7月から半年間投稿し続けましたが、色々面白い発見をさせて頂きました。深く感謝申し上げるとともに、来年も健康に留意され我々を悩ます問題をお願い致します。本当に半年間どうも有難うございました。
それでは水の流れ様にとり来るべき新年が良いお年であることを祈りつつ筆を擱かせて頂きます。』
<水の流れ:恐縮のコメント>平成9年12月5日に、初めてホームページ「かず」として、ウェブサイトに載せました。あれから、丸4年経ち、5年目に入っています。途中サーバーを余儀なく変更しなければならないという出来事がありましたが、皆様の暖かいご支援ももと、今日まで運営してきております。ここで、改めて、厚く御礼申し上げます。
 さて、今回の問題に限らず、「オイラーの無限解析」という本の影響を受けながら、オイラーの偉大さに驚きつつ、身近な問題と思いつつ、応募問題も89回になりました。年が変わりましても、よろしくお願いします。
では、恒例になりました高校生のための図説数学史(現代数学社:田村三郎著)から「3次方程式の解法」の部分を引用します。
<その6>カルダーノは医者として、数学の教授として名声を博していたと同時に、占星術師として賭博師としても名を馳せていた。カルダーノは、自分には守護神が宿っていて、そのため予知能力をもっていると信じていた。この守護神のせいでか、自分の死を予言しており、予言の日に死ぬための準備として自叙伝を書き上げ、死の予告の日、1576年9月20日に旅先のローマで絶食の末、餓死したとも言われている。
 フェルラリもボロニアの貧しい家庭に生まれ、15歳のときカルダーノ家に書生として住み込むようになった。カルダーノの手ほどきで数学の勉強をしているうちに頭角を現し、4次方程式の解法を発見している。その解法は、フェルラリの方法として現在も良く知られている。のち、ボロニア大学教授になったが、妹の情夫に毒殺されたとも言われている。
これで、「3次方程式の解法」物語は終了します。尚、3次方程式の解法
「カルダノの公式」はここをクルックください。

N01:2001年12月19日(水)帰宅後、メールが入っていました。第89回の応募問題「奇数の積の和」の解答を「kashiwagi」さんから届いていました。深くお礼申し上げます。
では、恒例になりました高校生のための図説数学史(現代数学社:田村三郎著)から「3次方程式の解法」の部分を引用します。
<その5>カルダーノはイタリアのミラノで私生児として生まれた。父親は法律家で、カルダーノは生まれながらにして邪魔者扱いにされ、母親の愛情を知らないまま育った。母親には愛されず、病気がちで様々な持病に悩まされた。自伝の中で「一度ならずも毒をもられた気がしたが、すぐに元気になった」と述べているが、当時魔女狩りの時代で、身内の者も信じられないほどすさんだ時代であった。
私生児であったため、医学会へ入会を希望しても、再三拒否されている。しかし、フォンタナに3次方程式の解法を聞いた頃は医学会員になっており、生活も安定していた。ところが、晩年になって、長男はその妻に毒を盛ったかどで捕まえられ、斬首刑に処せられているし、次男は若き日の自分と同じように放蕩で、その次男には手をやいている。また、自らも死の数年前には異端審問にかけられて投獄され、著書の出版停止処分を受けるなど不幸続きであった。
 カルダーノの数学的業績は、フォンタナとの関係で、3次方程式解法にまつわるエピソードは有名であるが、賭博師でもあったため、「サイコロ遊びについて」という史上最初の確率論の本を書いた。

N043:過去の「私の1日No43」平成13年11月23日〜12月19日のはここをクリック下さい。
NO1〜NO43までは過去の日記

<自宅>  mizuryu@aqua.ocn.ne.jp

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