<水の流れ> (私の一日NO43)

震え上がるような数の神秘を知るためにあなたは青春をかけてみないか!

N023:2001年12月19日(火)帰宅後、メールが入っていました。第89回の応募問題「奇数の積の和」の解答を「kashiwagi」さんから届いていました。深くお礼申し上げます。
では、恒例になりました高校生のための図説数学史(現代数学社:田村三郎著)から「3次方程式の解法」の部分を引用します。
<その4>カルダーノはイタリアのミラノで私生児として生まれた。父親は法律家で、カルダーノは生まれながらにして邪魔者扱いにされ、母親の愛情を知らないまま育った。母親には愛されず、病気がちで様々な持病に悩まされた。自伝の中で「一度ならずも毒をもられた気がしたが、すぐに元気になった」と述べているが、当時魔女狩りの時代で、身内の者も信じられないほどすさんだ時代であった。
私生児であったため、医学会へ入会を希望しても、再三拒否されている。しかし、フォンタナに3次方程式の解法を聞いた頃は医学会員になっており、生活も安定していた。ところが、晩年になって、長男はその妻に毒を盛ったかどで捕まえられ、斬首刑に処せられているし、次男は若き日の自分と同じように放蕩で、その次男には手をやいている。また、自らも死の数年前には異端審問にかけられて投獄され、著書の出版停止処分を受けるなど不幸続きであった。
 カルダーノの数学的業績は、フォンタナとの関係で、3次方程式解法にまつわるエピソードは有名であるが、賭博師でもあったため、「サイコロ遊びについて」という史上最初の確率論の本を書いた。

N022:2001年12月18日(火)帰宅後、メールが入っていました。第89回の応募問題「奇数の積の和」の解答を「やぎ」さんから届いていました。ありがとうございます。感謝申し上げます。
では、恒例になりました高校生のための図説数学史(現代数学社:田村三郎著)から「3次方程式の解法」の部分を引用します。
<その4>フォンタナは3次方程式の解法に絡んで最も有名であるが、弾道を数学的に研究した最初の人としても知られている。おもりを下げた四分儀を使って、砲身の仰角を測り、仰角が45度のとき弾が最も遠くに飛ぶことを実験的に求めている。しかし、弾道が放物線を描くことは、まだ知らなかった。
 フォンタナはアルキメデスの翻訳をしている。このアルキメデス精神の復活が近代科学思想の出現と密接にかかわっている。フォンタナによる実験的弾道研究もそうであるが、これはガリレイによる実験科学につながるものといえよう。
「数と計量の一般論(1556年)」は未完成に終わったが、フォンタナの代表作である。その中に興味深い問題・・・アルクインの本に出ていた川渡りの問題、中国の百五減算に似た問題などのほかに、タルタリアの量り分け問題として知られている問題「8リットルのぶどう酒を、5リットル枡と3リットル枡だけを使って、4リットルずつに分けるには、どうすればよいか」という問題などが出ている。
 

N021:2001年12月17日(月)では、恒例になりました高校生のための図説数学史(現代数学社:田村三郎著)から「3次方程式の解法」の部分を引用します。
<その3>フォンタナの勝利は広く知れわたり、多くの学者たちがその解法を教えて欲しいと願い出たが、フォンタナはそれをすべて断っていた。ミラノ大学教授カルダーノ(1501〜1576)は、フォンタナを自宅に招いて歓待した際、3次方程式の解法を教えてくれれば、よいスポンサーを紹介してあげようと誘惑した。貧しいフォンタナは遂に折れ、自分が著書に発表するまでは、絶対に公表しないという誓約書をとった上で、解法を教えた。
ところが、カルダーノは1545年に「高等代数学」を出版し、フォンタナとの約束を破って3次方程式の解法を載せてしまった。怒ったフォンタナはカルダーノに挑戦状をたたきつけた。しかし、試合当日カルダーノは出席せずに、代理として26歳の弟子フェルラリ(1522〜1565)を派遣した。初老を過ぎた大家フォンタナと、二十代の若者フェルラリの対戦となったが、場所が適地ミラノであったせいもあって、声援はフェルラリに対するものばかりであった。カリダーノを非難する弁舌をしたものの、言語障害者であったタリタリアの話は迫力に欠け、野次と怒号にかき消されてしまった。
「裏切り者に応援するとは!」と頭にきたフォンタナは、冷静さを欠き、戦い半ばで席を立ってしまった。これは自らの敗北を認める結果になってしまったのである。

N020:2001年12月16日(日)早くも、第89回の応募問題「奇数の積の和」の解答を「(^o^)BossF」さんから寄せられました。ありがとうございます。感謝申し上げます。
では、恒例になりました高校生のための図説数学史(現代数学社:田村三郎著)から「3次方程式の解法」の部分を引用します。
<その2> フォンタナ(1500〜1557)はイタリア北部の田舎町ブレシアで、貧しい郵便配達夫の子として生まれた。しかも、幼い頃、この町に侵入してきたフランス兵に父親は殺され、フォンタナ自身もフランス兵にあごを切りつけられ、死骸の下に横たわっているところを母親に助け出された。貧しい母親は子供を医者にみせることもできなかったため、犬のように傷をなめて癒してやった。そのため、フォンタナは一生ものを言うことが不自由な身となり、タルタリア(どもり)とあだなされるようになった。
貧乏な母親はフォンタナを2週間しか学校に通わせることができなかった。それ以降、住み込みの書生として働きながら、独学で勉強を続けた。紙を買う金もなかったため、墓石を石盤のかわりに利用したという。すぐれた数学的才能は早くから認められ、ベロナ大学を振り出しに、最後はベニス大学の教授となり、当代随一の数学者になった。

N019:2001年12月15日(土)第89回の応募問題「奇数の積の和」を更新しました。いつものように皆さんからのご応募をお待ちしています。

N018:2001年12月14日(金)第88回の応募問題「複素数の平方根」で寄せられた「解答」を更新しました。いつも、ご応募頂き、誠にありがとうございます。
では、恒例になりました高校生のための図説数学史(現代数学社:田村三郎著)から「3次方程式の解法」の部分を引用します。<その1>
<その1>近世数学の歴史は3次方程式の解法から始まる。アラビアの数学者たちも3次方程式の解法に挑戦しながら、誰も成功しなかったし、偉大なフィボナッチも成功していない。パリオリは「3次方程式は、現在の学問の状態では、円の平方化問題(ギリシャの3題難問の1つで、円と面積の等しい正方形を作図する問題)と同様に不可能である」と述べている。
 ところが、その20年後もしないうちに、イタリアの数学者スキピオ・デル・フェロ(1465〜1526)のよって解かれたらしい。解かれたらしいというのは、発見した解法を公表せずに、弟子のフロリドスにだけ伝授して亡くなったからである。フロリドスは俗物だったらしくて、3次方程式の解法を知っていることが嬉しくてたまらず、3次方程式を解く試合をしながら、誰彼なく吹聴してまわった。
 これに刺激されたベニス大学教授ニコロ・フォンタナ(1500〜1557)は、3次方程式の解法に没頭し、独力で解法を発見した。そのニュースを知ったフロリドスはフォンタナに挑戦した。1535年2月22日、公開の席で試合が行われたが、勝負はあっけなくついてしまった。フォンタナはフロリドスの出した30問を2時間足らずで解いてしまったが、フロリドスのほうは1問を解けなかったからである。

N017:2001年12月13日(木)昨日は、PCの前に座る時間が持てなくて、更新できませんでした。ちまたでは、ジングルベルの音楽が流れ、クリスマス気分に慕っています。太郎さんも、職場で空き時間に、クリスマスソングを聞き流れ、職務に専念しています。頭中がすっきりしていくような気になります。でも、明日からは、保護者懇談でして、生徒の「進路希望」をかなえてあげようと、親と一緒にお話をします。

N016:2001年12月11日(火)デカルト(1596〜1650)は、子供頃からベットの中で寝こがって、夢想する癖があった。30年戦争に従軍中も、デカルトは兵舎のベットに横たわりながら、天井をはっているはえを見つめていたとき、ふと座標の考えを思いついたのだと言われている。
 軍隊生活を終えて、オランダの小さな村に住んでいたとき、そこの亡命中のエリザベート王女もいて、彼女はデカルトに教えを乞い、哲学、数学を学んだ。
 デカルトの評判を耳にしたスウェーデンの女王クリスチーナは、かなり強引にデカルトをストックホルムに迎えた。それは冬を前にした10月のことであった。北国ストックホルムの冬は凍りつくほど寒い。しかも、週2回、早朝の5時から寒風の吹くすさむただっ広い宮廷で、女王にご進講をしなくてはならなかった。ついにデカルトは風を引き、肺炎も併発してしまい、ストックホルムにきて、3ヶ月目にこの世を去ってしまった。
以上、高校生のための図説数学史(現代数学社:田村三郎著)から引用しました。

N015:2001年12月10日(月)カバリエリ(1598〜1647)は、イタリアのミラノに生まれ、17歳のとき修道士になった。修道士としてイタリア各地をまわっている間にガリレオの指導を受け、数学に開眼し1629年にはボロニア大学教授になっている。カバリエリは通風に苦しみ、その苦痛から忘れるために数学の研究をしたと言われている。
 「カバリエリの原理」といわれているのは、「二つの平面図形FとGがあって、これをある直線に平行に切ったとき、つねに切り口の長さが等しければ、FとGの面積が等しい」というものであるが、これは積分概念成立の1つの先駆けといえる。
 トリチェリ(1608〜1647)も、ガリレイの弟子である。彼は「トリチェリの真空」でよく知られているが、平面曲線の接線の研究をしており、微分概念成立の先駆者の一人と考えられている。
以上、高校生のための図説数学史(現代数学社:田村三郎著)から引用しました。

N014:2001年12月9日(日)昨日のJBLスーパーリーグ「トヨタ自動社×松下電器」の結果は「トヨタ自動社120:94松下電器」でトヨタ自動車の勝ちでした。太郎さんは、やはり都合が悪くて見に行けませんでした。次回を楽しみにします。
 海鳴社から出版されている「オイラーの無限解析」を読んでいると、ラプラスが「オイラーを読め、オイラーを読め、オイラーは我々すべての師だ!」と言ったことが実感できます。レオンハルト・オイラー(1707年から1783年)はスイスのバーゼルに生まれる。ペテルブルクやベルリンのアカデミーで活躍。フェルマーの数論を継承して近代数論への道を開くとともに、ライプニッツの無限小解析を展開し解析の世界の諸相を明らかにした。
後年のガウス、ヒルベルトと並び称される偉大な数学者である。以上は、著作本の後記から引用しました。太郎さんも、内容の理解に努めたいと思っています。そこから、応募問題が作問できれば、こんな幸せなことはないでしょう。来年以降の課題になっていきます。

N013:2001年12月8日(土)6日と7日の更新をしませんでした。お許しください。学校の仕事が多く入っていました。帰宅後、PCの前でメールを開いたところ、ウイルスに感染したメールの方が多くて、削除するのに大変でした。ついつい、睡魔に勝てず、床のついた次第です。
 さて、今日、午後2時から、「岐阜アリーナ」(岐阜県庁東)の体育館で、JBLスーパーリーグ「トヨタ自動社×松下電器」がバスケットボールで対戦します。入場料1階席が2000円、2階席が1500円になっています。太郎さんは、都合が悪くなってしまい、観戦できそうにありません。県バスケット協会関係者に会うことができるんですが、残念です。

N012:2001年12月5日(水)今日もウイルスに感染したと思われるメールが5通も送られてきました。何の手だてもできない太郎さんは、大変困っています。皆さんも、本当にお気をつけてください。
 バスケットの顧問会議に行ってきました。1月12日、13日に県新人戦地区予選があります。また、県大会に向けて練習に励むことになります。

N011:2001年12月4日(火)ウイルスに感染したメールと思われるのが、昨夜のうちに3通届いていました。本当に困ったことです。抵抗力のない太郎さんは、感染の防ぎようがありません。
 さて、おかげさまで、第88回応募問題の解答が「 (^o^)BossF 」さん、「浜田」さん 「kashiwagi」さんと修正を含めて、3通届きました。いつもありがとうございます。皆さん!本当に感謝しています。
学校では、毎日多忙な日々を過ごしています。多くの仕事を抱えていまして、原稿など冬休みにならないと、できない状態です。明日から、また、部活が始まります。

N010:2001年12月3日(月)ここ数日の間に、10件ほどの不振なメールが届いています。本人は知らないと思われますが、皆さん!「必ず、件名と本文を入力くださいね。」お互いに感染しないように気をつけましょう。
 さて、友達からウイルス情報を頂きましたので、お知らせします。
【ウイルス(ワーム)名:WORM_BADTRANS.B(バッドトランスB) と呼ばれるワームが蔓延しています。感染したメールが送られて迷惑しています。
マイクロソフト社のOutlookやOutlookExpressを利用の場合、感染の恐れがあります。
 今回のウイルスの動きとしては感染元のアドレス帳や未読メール、受信ボックスから送り先を選び送りつけるようです。
タイトルは日本語ですと文字化けを起こしますが、英数字はそのまま表示されています。】
 次に、第88回応募問題の解答が「kashiwagi」さんから届きました。いつもありがとうございます。感謝しています。いつものように、解答の応募具合をみながら、更新させてもらいます。

N09:2001年12月2日(日)ゆっくり休養できました。でも、学校の仕事はあまり進んでいません。明日から、また、がんばりましょう。皆さんからエネルギーを一杯頂いていますからね。

N08:2001年12月1日(土)今日の午後2時43分に「皇太子妃殿下」の雅子様が内親王をご出産されました。このニュースを4時ころ歯医者の待合い室のテレビで知りました。「おめでとう」とお祝いも申し上げます。
 さて、第88回の応募が早速、「(^o^)BossF」さんから寄せられたいました。いつも、感謝しています。
問題1から、問題3までは正解に到達しています。だだ、問題4はzの実部や虚部は整数である複素整数を考えてください。2002年にちなんで問題を考えたつもりです。2002=2×7×11×13となっています。

N07:2001年11月30日(金)明日から、12月のなり、残すところ2001年も後1ヶ月になります。連載数学的応募問題も、3年3ヶ月の間に88回目を数えることになりました。これは一重に皆さんのおかげと感謝しています。では、第88回の応募問題「複素数の平方根」を更新します。多くの方からのご応募をお待ちしています。
 さて、午後から、岐阜県数学教育専門委員会にでかけていきました。その席で、「複素数の平方根」の話をしたところ、かってこのような問題が大学入試にあったそうです。どなたでも構いませんから、記憶のある方は教えてください。

N06:2001年11月29日(木)第87回の応募問題「正(2n+1)角形」で寄せられた「解答」を更新しました。いつも、応募頂きまして、誠にありがとうございます。
 皆さん!一般に、複素数zについて、z^2=a+bi (a、bは実数、iは虚数単位)の解をご存じですか。これが、88回の問題です。事前にお考えください。明日、第88回の応募問題をアップする予定です。

N05:2001年11月28日(水)太郎さんは、毎日多くの学校の仕事を抱えています。12月からの中間考査が始まり、生徒の質問にも答えています。第88回の応募問題は「複素数の平方根」という題なっています。2重根号を用いると、鮮やかに解けるようにはしてあります。30日にアップの予定です。
 それと、不振な添付ファイルつきのメールが2件も着ていました。ウイルスは大変怖いものです。

N04:2001年11月27日(火)帰宅後、第87回の応募問題「正(2n+1)角形」の解答を「(^o^)BossF」さんから寄せられました。下に載せます。
『こんにちは 問題1 [解] (Aと共役なものは~Aと表してます。)
α,β,γ,δは異なる0でない点であるから…(*)
αγ⊥βδ
⇔(α-γ)/(β-δ)+(~α-~γ)/(~β-~δ)=0
⇔(α-γ)(~β-~δ)+(~α-~γ)(β-δ)=0…@

ここで、lαl=lβl=lγl=lδl=1だから
@⇔(α-γ)(1/β-1/δ)+(1/α-1/γ)(β-δ)=0
⇔(α-γ)(δ-β)/βδ+{(γ-α)/γα}(β-δ)=0
⇔(α-γ)(δ-β)(1/βδ+1/γα)=0…A
再び(*)に注意して
⇔(1/βδ+1/γα)=0
⇔αγ+βδ=0

問題2[解] 一つの頂点が1であるとしても一般性は失わない
このとき、各頂点は1から左回りにz、z^2,z^3,…z^2nと置ける。(z^(2n+1)=1である…@ことに注意する)
対角線z^p:z^qとz^r:z^s (p,q,r,sは互いに異なる0以上2n以下の整数)が直交する条件は問題1より
z^p・z^q+z^r・z^s=0
⇔z^p・z^q=-z^r・z^s
⇔z^(p+q-r-s)=-1…A
Aの両辺を2n+1乗すると
左辺=(z^2n+1)^(p+q-r-s)=1(∵@)
右辺=(-1)^(2n+1)=-1
よってAは明らかに成り立たない
i.e.対角線は、どれも直交しない
う〜ん、複素数も、表しにくいですね・・』
<水の流れ:コメント>実は、共役な複素数の表し方が、Web上では表せそうにないのです。この表現方法に工夫がいるのです。「(^o^)BossF」さんの解答には 「Aと共役なものは~A」と表してあります。
また、20日に寄せられた「kashiwagi」さんの解答も載せますが、「αと共役なものは~α」として、書き換えてあります。 
『問1 直交するのだから(β−δ)/(α−γ)の値は純虚数である。即ち、共役なものを加えると0となる。
(β−δ)/(α−γ)+(β−δ)~/(α−γ)~=0 ・・・@
又、題意よりα、β、γ及びδは半径1の円周上にあるので、各々の絶対値は1。
因って、|α|^2=α・α~=1、即ち α~=1/α、これはβ、γ及びδについても成り立つので@式に代入して、整理すると、
    [1+(αγ/βδ)]・(β−δ)/(α−γ)=0
ここで(β−δ)/(α−γ)≠0であるから、[1+(αγ/βδ)]=0が必要である。即ち、αγ+βδ=0が4点よりなる2本の対角線が直交する条件である。
問2
複素数平面に於ける正(2n+1)角形の各々の頂点をZ、Z、・・・、Z2n+1とし、これらの任意の2点づつを結んでできる対角線の中で少なくとも2本が直交すると仮定し、その対角線をZとZ2nとする。
問1の結果から直交する条件は、(Z−Z2n)/(Z−Z)の値が純虚数である、即ち、Z+Z2n=0、これを変形し、 (Z2 /Z)+(Z/Z2n)=0 ・・・ A
ここで正(2n+1)角形の中心角をθとすると、
    θ=360゜/(2n+1) ・・・B
A式を絶対値と偏角表示すると、
cosθ + cos nθ + i (sinθ −sin nθ) = 0  ・・・C
この式を和積の公式で変形すると、cos (n+1)・θ/2 =0となる。
因って、B式と(n+1)・θ/2=90゜、270゜、450゜・・・より
nの値を求めると、負の分数にしかならない。これはnが自然数であると言う最初の命題に反する。
即ち、これら2本の対角線が直交するとした仮定が間違っていたこととなる。つまり、最初の仮定である少なくとも2本が直交すると言う命題が間違えていたことになり、この命題の対偶である全ての対角線は直交しないと言う命題が正しいことが証明された。
 即ち、正(2n+1)角形の対角線のどれもが直交しないと言える。』
<「kashiwagi」さんからの追伸:問2は1を利用し、命題の対偶を論証し、強引に結論までもっていきましたが、何かすっきりしません。最エレガントな解法があるのでしょうね。お教え頂けると幸いです。> 
         

N03:2001年11月26日(月)最近、2つの正の数の平均について、あることを知りました。相加平均、相乗平均、調和平均とまでは知っていましたが、4つの平均がありました。2乗平均です。{(a^2+b^2)÷2}^1/2 のことです。もちろん、n個の正の数についても拡張されていきます。で、一般に、小さい順に(調和平均)≦(相乗平均)≦(相加平均)≦(n乗平均)が成り立ちます。
 ここで、2個の正の数のn乗平均を考えます。{(a^n+b^n)÷2}^1/n としたとき、n=ー1が調和平均、n=0のとき、相乗平均、n=1のとき、相加平均、n=2のとき、当然ながら2乗平均です。そこで、lim(n→0){(a^n+b^n)÷2}^1/n =√ab である証明を考えてください。

N02:2001年11月25日(日)昨日、午後から紅葉を見に、ドライブしました。先日テレビで紅葉狩りで有名と放映にあった三重県藤原町にある聖宝寺に出かけることになる。走る道路が分かっていたから、近づいたら土地の人に尋ねればと思いつつ。
 やはり、道路脇には、「紅葉狩り 聖宝寺」という旗が立っていましたか、その旗が道案内。約50分後に寺の駐車場に入る。この後、お参りするお寺までは、石の階段を何段か登ることになる。。紅葉(もみじ)木々が境内一杯にあり、真っ赤に染まっています。夜はライトアップされきっと絵に描いたような光景になるんでしょう。心静まる一瞬でした。
午前中、第87回の応募問題の解答を更新するための作業をして、午後、早いですが、年賀状の裏面(4種類の中の1つだけ)を作成し、印刷を一部しました。プリンター機能が遅いので、毎年ながら印刷に時間がかかります。では、明日また。

N01:2001年11月24日(土)22日,23日と休んでいました。ご迷惑をおかけしました。今朝から、美しい話第41話として「学力低下に対する対策」を作成していました。皆さんはどう思われますか。

N042:過去の「私の1日No42」平成13年10月19日〜11月21日のはここをクリック下さい。
NO1〜NO42までは過去の日記

<自宅>  mizuryu@aqua.ocn.ne.jp

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