<水の流れ> (私の一日NO79)

NO15:2025年5月25日(日)先日、訪れた二本松城のときに、ガイドさんから「戊辰戦争で少年隊の悲劇があったのは会津若松だけでなく、ここ二本松でも同じように尊い命を落とした少年がいたのです」と。この出来事を知らなかった私は驚愕した思い出があります。
詳しくは、
二本松少年隊をご一読ください。

では次に,第455回の応募問題の
「最大値・最小値」を出題します。工夫して解けた喜びを味わってください。募集期間は6月22日まで。
応募された第454回の
「解答者を一覧」に整理しました。ご覧ください。
また,第454回の
応募解答です。
 

NO14:2025年5月22日(木)5月16日から17日に1泊2日で初めて沖縄に行って「琉球王国6城巡り」をツアーにて参加してきました。
 沖縄の歴史を知らなかったが、このお城巡りで知り得た。当時、文字をもたないから伝承・伝承が多い。
死後は風葬だから洗骨後に骨を入れる甕が必要で、それを収めるお墓が必要。
沖縄にもお城造りの名手護佐丸がいたことを知る。座喜味城と中城城で有名だった。
ガイドさんから、1609年の薩摩の侵攻と1945年の日本軍と米軍の戦闘で高所にあるお城が大砲で破壊された話が度々出てきた。米軍基地は沖縄に31カ所あると言われた。
 ガイドさんの説明で沖縄戦での印象的な出来事を知った。
「住民が逃げ込んだガマで1つは約800人が集団自決、一方、約千人がいたが、その中の一人にハワイ帰りの人がいて、アメリカ人は悪い人でないから、安して投降しようと皆に伝えた。捕虜になったものの米軍からは命は取られずに助かった」とお話を聞いた。
 第二次大戦時の沖縄戦。ここ浦添城(前田高地)は、日本軍の司令部のあった首里を見渡すことができるため、日米両軍による死闘がその一帯で繰り広げられたと話された。
一度ご一読くだされば嬉しい限りです。

NO13:2025年4月27日(日)現在,お城巡りの旅は日本100名城では54城、続日本100名城では14城と数えました。これからは体力と相談しながらお城巡りをしてきます。
では次に,第454回の応募問題の
「素数の問題」を出題します。募集期間は5月25日まで。
応募された第453回の
「解答者を一覧」に整理しました。ご覧ください。
また,第453回の
応募解答です。

NO12:2025年4月22日(火)4月17日〜19日にクラブツーリズム「福島・山形・宮城 南東北6城巡り」ツアーに参加してきました。白河小峰城・会津若松城・二本松城・仙台城・多賀城・山形城のどのお城でも桜は満開でして気持ちよく見学できた。
二本松城内にある「旧二本松藩戒石銘碑」の言葉に感銘を覚えた。「爾砲爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺」意味は、「お前(武士)の俸給は、民があぶらして働いたたまものより得ているのである。お前は民に感謝し、いたわらねばならない。この気持ちを忘れて弱い民達を虐げたりすると、きっと天罰があろうぞ。」、と解釈されている。ご一読くだされば幸いです。

NO11:2025年4月10日(木)18日(火)に御城印集めに一人で信州松本城へ行ってきました。
日本100名城・続日本100名城のブームにあやかって次々に現地に行きたくなり、五重六階の天守としては日本最古を誇る松本城を見学できたことは感慨無量の気持ちになり帰宅できた。ご一読くだされば幸いです。

NO10:2025年3月30日(日)29日、30日に師匠寺の山門西法寺の本堂にて,宗祖親鸞聖人御誕生八五〇年と立教開宗八〇〇年と住職継承奉告法要の慶讃法要が行われています。29・30日と年行としての役目があり,朝7時に出かけます。
そこで、29日の夜遅くに更新させていただきます。
では次に、第453回の応募問題の
「ヘロンの三角形」を出題します。募集期間は4月27日まで。
3辺の長さとその面積がともに整数となる三角形をヘロンの三角形と言います。3辺の長さが3,4,5の面積は6で,これがその例になります。
応募された第452回の
「解答者を一覧」に整理しました。ご覧ください。
また、第452回の
応募解答です。

NO9:2025年3月16日(日)青春18きっぷっを利用して、9日10日と和歌山城・岸和田城・明石城・尼崎城・大阪城を見学して御城印を集めました。ご一読くだされば幸いです。
さらに、12日13日と
福知山城・丹波亀山城址・伊賀上野城・松阪城跡を見学して御城印を集めてきました。ご一読くだされば幸いです。
名城巡りのも70城近く訪れたことになる。藤堂高虎が携わったお城が随所にみることができ、彼の建築学は現代に通じる高い技術力で感激を覚える。大坂城天守の作事奉行だった小堀遠州は黒田如水、藤堂高虎、加藤清正と並ぶ築城の名手と言われていることを知る。
築城の名人と言っても以前から知っている3人は普請(土木工事)を中心とする築城名人ですが、小堀遠州は作事(建築工事)を得意とする築城の名人です。また、自然地形を利用した涌泉を引いた庭園を造りや茶人としても有名です。

NO8:2025年3月13日(木)9日の日曜日から青春18きっぷ5日間を利用して、早朝6時半に家を出て、18時過ぎに帰ってきて、9つのお城巡りをしてきました。
9日は和歌山城と岸和田城。10日は明石城と尼崎城と大阪城。11日は雨降りでして一日家で休養、この日に信州松本城への行く予定でしたが延期して後日見学に計画変更。12日は福知山城と丹後亀山城跡。13日の今日は伊賀上野城と松阪城跡を見学してきました。4日間お城の見学時間とJR路線のダイヤを上手く利用して事前の計画通りに行動してきました。
御城印とお城や石垣の写真を撮影できたことは大満足の旅でした。後始末が大変ですが、後日、旅日記で報告する予定です。
藤堂高虎の携わったお城は関ケ原歴史を語る会5月号の原稿です。ご一読くだされば幸いです。

NO7:2025年3月2日(日)昨日、令和6年度垂井町文化財保護協会総会に出席して、後の講演会を聞いて来ました。
 演題は「美濃の古墳時代を探る旅 垂井の古墳が語る地域の歴史〜栗原・大平古墳群を60年ぶりに解き明かす〜」
 講師は岐阜聖徳学園大学 特別研究員 中井正幸氏 
内容は「約60年前に発掘された栗原・大平地区の古墳群の整理を進めてみると、3世紀の墳丘墓のほか、5〜6世紀の造出し円墳や埴輪をもつ古墳、さらに7世紀の横穴式石室が同じ場所につくられていたことがわかったきました。
今回の講演では、こららの内容を養老の象鼻山古墳群や大垣の昼飯地区などの古墳とも比較しながら解説し、垂井の古墳が美濃の古墳時代に果たした歴史的役割について考察」という発表でした。
あかねの皆さん!栗原は3世紀からの古墳がある歴史のある村です。ローカルな話でお許しください。
では次に、第452回の応募問題の
「単位分数」を出題します。募集期間は3月30日まで。
応募された第451回の
「解答者を一覧」に整理しました。ご覧ください。
また、第451回の
応募解答です。

NO6:2025年2月27日(木)25日に行われた岐阜県観光ガイド連絡会「犬山市研修会」に参加してきました。
犬山城を視察して行きました。現存する12の天守の中では最古と言われたことが印象に残っています。。ご一読くだされば幸いです。

NO5:2025年2月5日(水)先月行われた太相撲初場所で大関豊昇龍は3人よる巴戦の結果優勝しました。この巴戦は公平かと思い、3人の優勝する確率を考えました。最初に引くくじ引きは考えませんでした。
美しい数学の話の第59話の掲載しました。
大相撲の巴戦をご一読くだされば幸いです。

NO4:2025年2月2日(日)藤堂高虎が生涯を通して二十近くの城の築城に携わり、特に築城の設計図であり、城の防御を決める重要な部分である縄張りを幾度も担当している。藤堂高虎の城を原稿にしました。ご一読くだされば幸いです。
次に、第451回の応募問題の
「ガウス記号(3)」を出題します。前回の続きでガウス記号の問題です。年号の2025の数字を取り扱っています。募集期間は3月2日まで。
応募された第450回の
「解答者を一覧」に整理しました。ご覧ください。
また、第450回の
応募解答です。

NO3:2025年1月22日(水)20日月曜日岐大病院へ月1回の定期検診にいって来ました。血液検査の結果はIgG4の数値が相変わらず、750前後横ばいでしてなかなか300以下のはなりません。今日は半年毎のCT検査もしたが、結果は異状なしで一安心です。
帰りに岐阜駅から金山駅まで電車に乗り、
名古屋城を見学に行きました。天守閣の石垣は加藤清正の設計でして、この史実は知らなかった。ご一読くだされば幸いです。

NO2:2025年1月5日(水)先日の藤堂高虎の生涯は関ケ原歴史を語る会4月号の原稿です。ご一読くだされば幸いです。
藤堂高虎が生涯を通して二十近くの城の築城に携わり、特に、築城の設計図であり、城の防御を決める重要な部分である縄張りを幾度も担当していたことを調査するなかで知った。そこで、関ケ原歴史を語る会5月号に「藤堂高虎が携わった主な城等」として原稿にしています。
今年も御城印を集めに各地区のお城巡りに出かける予定です。今の所、行きたいお城は青春18きっぷを利用して、紀州和歌山城、信州松本城、丹波亀山城、近くの名古屋城をと考えています。
次に、応募された第449回の
「解答者を一覧」に整理しました。ご覧ください。
また、第449回の
応募解答です。
第450回の応募問題の
「ガウス記号(2)」を出題します。前回の続きでガウス記号の問題です。年号の2025の数字を取り扱っています。募集期間は2月2日まで。
 

NO1:2025年1月1日(水)令和7年乙巳(きのとみ)明けましておめでとうございます。
昨年までのご応募に深く感謝申し上げます。今年も引き続きご愛顧賜りますようよろしくお願いいたします。今年も新たな気持ちで頑張ってまいります。皆様のご健康とご多幸をお祈りします。
今回は、通常より早く元旦に合わせました。第450回の応募問題の
「ガウス記号(2)」を出題します。前回の続きでガウス記号の問題です。年号の2025の数字を取り扱っています。募集期間は2月2日まで。
 新年のご挨拶です。
年賀状

NO78:過去の
「私の1日NO78」令和6年1月1日〜令和7年1月1日のはここをクリック下さい。
NO11〜NO78までは過去の日記

<自宅>  mizuryu@aqua.ocn.ne.jp

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