<水の流れ> (私の一日NO27)

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N016:2000年12月31日(日)年始の準備をと思いつつ過ぎていきます。太郎さんは小学生のとき、2001年の21世紀まで生きていたいと思っていましたし、この年になっている大人をみると何と老けてみえるんだろう感じていました。実際今なってみると、もっと長生きして、世の中の変化を見ていきたいと思うようになっています。人間、1つの目標に向かって邁進努力しているときは、生き生きとした人生を歩むことになります。
 さて、明日から21世紀に入りますが、どんな出来事に遭遇するか楽しみになります。太郎さんは、11月7日に書いた下記のことが証明されたというニュースを一刻も早く聞きたいと思っています。特に、リーマン予想の証明です。世界にいる偉大なる数学者(その卵達も含めて)影ながら声援を送りたいです。
【クレイ数学研究所が今年5月24日にパリの学会で賞金100万ドルの7つの問題を提出しました。
「数学は科学のなかで特別な地位を持っている。数学は人間の知識の神髄を具現し、人間活動のすべての分野に入り込んでいく。数学的解明のフロンティアは今日計り知れない深さに発展している。科学のすべての分野における発見と数学とが手を携えて進歩している。工業技術への数学の応用は我々の日常生活を支えている。暗号およびコーディングの理論は現代のコミュニケーションに大切であり、また数学は、航海術、航空術、さらに健康や安全保障、その上経済にも中心的な役割を果たしている。
数学の発展は今後も我々の文明の形成のために中心的な役割を果たしていくであろう。大規模な数学的真理の認識のために人間の知性に挑戦し、新たなミレニアム(千年)の数学を祝福するためにクレイ数学研究所は7つのミレニアム懸賞問題を提出する。」
7つの問題は次のものです。1.P=NP問題。2.ホッジ予想。3.ポアンカレ予想。4.リーマン予想。5.ヤンーミルズ理論とmass gap。6.ナヴィエーストークス方程式とsmoothness。7.バーチとスウインナートンーダイアーの予想。
 <以上、大学への数学9月号の記事の中からすべて引用>詳しくは、英文ですが、ここをクリックください。
「クレイ数学研究所」のホームページにあります。】ここには、書いてありませんが、ゴールドバッハの予想も解決することを楽しみにしています。
次ぎに、「フェルマーの最終定理」は21世紀まで持ち越します。これまでの多くの皆さんのお力添えを頂いて今日までこられました。誠にありがとうございます。来年もよろしくお力添えを賜りますようにお願い申し上げます。

N015:2000年12月30日(土)午前中、家族できねと石の臼で餅をつきました。年に1回の行事ですが、1年の年の経つのが早く感じるようになりました。読者の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
 さて、「フェルマーの最終定理」は20世紀に入ってきました。この世紀は、他の科学の分野同様、たくさんの新たな理論が数学の世界でも生み出された。1931年、オーストリア人の数学者ゲーデル(1906〜1978年)は”正しい数学の公理でも、それが必ずしも証明できるとは限らない”ことを示した。ゲーデルの「不完全性定理」である。(これは、1930年、現在知られる論理以外には、新しい法則がないことを示した。「完全性の定理」を証明。翌年、”正しい数学の公理でも、それが必ずしも証明せきるとは限らない”という「不完全性定理」を導いた)
この証明は数学者たちの間に、センせーションを巻き起こした。「フェルマーの最終定理」を含む数学の未解決問題が、もしかすると解けるハズのない問題なのかもしれないのだ。続きは明日にします。

N014:2000年12月29日(金)午前中は、田圃の畦にコンクリートの側板を入れる作業をしていました。午後は家の大掃除です。年の瀬が迫ってきた感じです。年内にやらねばならないことがまだあります。なかなか気が休まらない・・・
 さて、「フェルマーの最終定理」の今までの話をを美しい話の31話
「フェルマーの最終定理」に連続して掲載しました。まとめてご覧いただけます。11月14日から始めて、昨日までにNO34まで進みました。時は20世紀入っています。1630年代の17世紀に始まって、すでに3世紀の時が流れていることになります。

N013:2000年12月28日(木)あと今日を入れて4日で新しい世紀を迎えます。大晦日までに、やらねばならないことを成し遂げたい気持ちで一杯です。
さて、「フェルマーの最終定理」は1908年にドイツのウォルフスケールが遺言で、100年以内の解決者に10万マルクの賞金をかけてから、解決に拍車をかけた。そして、翌年の1909年。数論の世界に一大旋風が巻き起こった。
ドイツのヴィーフェリッヒが場合T(フェルマー方程式x+y=zにおいて、xyzがpで割り切れないという自然数x、y、zが存在しないとき)で、「pが奇素数として、2p−1−1がpで割り切れるときに限って、x+y=zが成立する可能性がある」ことを、証明したのだ。
ところが、この式は前に書いた「フェルマーの小定理」に、どこか似てはいないだろうか。見比べると、違いは「pで割る」か、「pで割る」かだけである。「フェルマーは、これに似た方法で『最終定理』を証明したのではないだろうか?!」
 当時の数学者は、そう色めき立った。いわゆるヴィーフェリッヒ・センセーションである。このヴィーフェリッヒ・センセーションと多額の賞金をきっかけに、たくさんの人々が「最終定理」にチャレンジした。しかし、これ以上の進展はなかったのである。

N012:2000年12月27日(水)太郎さんは午前中部活動で時間を費やしました。午後は仕事を行い、午後6時頃帰宅しました。最近疲れがとれないまま目がさめています。明日からは自宅にいることになっています。
 「フェルマーの最終定理」の話は明日に延ばします。

N011:2000年12月26日(火)起きてみると、一面に雪化粧でした。こんな寒い中午後から体育館で部活動を行ってきました。男子は3校、女子は2校での練習試合です。結果は良くありませんでした。1月の地区新人戦に向けて、これから練習しなければなりません。明日の午前中で今年の部活動は終わりになります。
 さて、今年の8月16日に書きましたが、「第2回 俳句甲子園」の太郎さんは投稿しておいた句がこの度入選したと葉書による連絡を受けました。これによると、全国21万640句の中から、有馬朗人氏(元文部大臣)、黛まどか氏(俳人)の監修により、選ばれたとこでした。来年2001年3月刊行予定の「第2回 俳句甲子園」に掲載されます。・・・ 真夏日 点の取り合い 汗涙・・・です。字足らずで強調されています。
これには、ちょっとしたエピソードがありまして、太郎さんはこの字足らずを知らずに投稿しました。ところが、明くる日生徒にこの句の話をしましたら、「先生最初が4文字で不足している」「しまった」投稿してしまった後なのです。それが今回入選しました。不思議ですね。これを・・・真夏日に 点の取り合い 汗涙・・・、・・・真夏日の 点の取り合い 汗涙・・・、・・・真夏日、 点の取り合い 汗涙・・・、と していたらどうなったでしょう?
 次ぎに、クンマーの証明で「フェルマーの最終定理」もnが100以下の素数なら37,59,67以外は、すべて成り立つことが19世紀中に示された。もう少しで「フェルマーの最終定理」は解決される!そんな雰囲気が数学者のなかにでてきたのだが・・・。それでも「最終定理」はなかなか解決されない。そんな1906年、「最終定理を完全に解いたもの、あるいは反例を見つけたものに、10万マルクを与える」といい残し、亡くなったのがドイツのウォルフスケールである。
この遺志は守られ、1908年に遺言が公表された。これが「フェルマーの最終定理」解決熱に拍車をかけた。続きは明日になります。

N010:2000年12月25日(月)太郎さんは、午前中、寒い体育館で部活動を行ってきました。午後、1月からの授業等の準備をしていました。夕方、西の空が雪雲に変わってきましたので、車のタイヤをガソリンスタンドでスタットレスに交換してもらいました。
 帰宅後、第66回の応募問題
「お年玉」を作成していました。今回のご応募をお待ちしています。「フェルマーの最終定理」の話は明日にします。

N09:2000年12月24日(日)皆さん!メリー クリスマス!楽しいひとときをお過ごしでしょう。
I wish you a Merry Christmas.
 「フェルマーの最終定理」の昨日続きを書きます。クンマーが生み出したのが、”理想数”と言う数字である。先ほど”より深く因数分解する”と述べた。そのため原始p乗根などを使ったが、これによって因数分解の一意性が失われてしまったのだ。クンマーは理想数を導入することで、一意性を回復したわけだ。なお、理想数という概念は、その後、大いに発展し、数学の一大分野を作るのである。 
結局、クンマーは「フェルマーの最終定理」に対する功績でパリ科学アカデミーから3000フランの金メダルをもらった。クンマーはこの懸賞に応募してはいなかったが、他に該当するような論文がなかったのである。
 気になるのが、第66回の応募問題を作成できなかったことです。申し訳ありません。明日以降に気合いを入れて作問します。読者の皆さん、お許しください。

N08:2000年12月23日(土)太郎さんは、午前7時半頃から、近くの山へ枯れた木を切る作業をしていました。午後3時までかかり終了しました。枝を切って束にしてきました。祭日にもかかわらず、仕事を一杯持っています。幸い怪我はありませんでした。
 1847年3月に、パリ科学アカデミーでの講演後ラメとコーシーがパリで火花を散らしていた、ちょうどそのころ、すでに彼らよりも深く「フェルマーの最終定理」について研究していた数学者がいた。ドイツのクンマーである。1847年4月、クンマーはnが正則と言われる特別な素数ぼ場合、「フェルマーの最終定理」が成り立つことを証明したのだ。
クンマーもラメなどと同様、フェルマー方程式をより深く因数分解することを考えていた。そのために原始p乗根、円分体などの理論を使ったのだ。そこで導かれたのが正則な素数と非正則な素数の区別である。クンマーは100までの素数が正則でないのは、37、59、67の3つだけということを確かめた。よって、n≦100については、この3つの数以外の指数の場合、「フェルマーの最終定理」は証明されたことになる。続きは明日にします。

N07:2000年12月22日(金)1847年3月1日、パリ科学アカデミーでの講演で、最後に演壇に上がった、フランスの数学者コーシー(1789〜1857)が「私の数ヶ月前にラメと同じ方法を思いついていた。ただ、忙しくて、完全な証明にはいたっていない」と述べたのである。それから、数週間、ラメとコーシーは一刻も早く完全な証明を作り上げようと躍起になった。お互いが自分の証明を秘密文書としてパリ科学アカデミーに送るようになって、ますます白熱化していった。
 アカデミーに文書を託すのは、後にどちらが先に証明したかが問題になったときの証拠とするためである。この息詰まるようなパリでの争いを一気に解決したのがディリクレの弟子、ドイツのクンマー(1810〜1893)であった。この続きはまた、明日書きます。
現在、太郎さんは、ミラーサイト作りをしています。95%前後まで更新してあります。後は、相対リンクがうまく張れているかがチェックしていません。あるWebにはもう公開しています。お楽しみにしてください。これで、3回目の引っ越し作業です。でも、今回が一番スムーズにいきました。技術的なことを教えて頂いた職場の同僚に感謝します。有り難うございます。

N06:2000年12月21日(木)「フェルマーの最終定理」でn=5の場合を証明したディリクレは、n=14の場合も見事に証明。しかし、n=7の場合は難しく攻めあぐねていた。そんな1839年、フランスの数学者ラメ(1795〜1871)が証明に成功した。ラメはフェルマー方程式を一般の因数分解より、より深く因数分解した。
これより、新しい複素数の世界をつくり、「フェルマーの最終定理」の指数7の場合を解決したのである。この証明にも後に不十分な点がたくさん発見されるが、画期的な方法であった。そして、1847年3月1日、パリ科学アカデミーでの講演で、ラメはついに「フェルマーの最終定理」を完全に解決したと宣言したのである。ラメの同僚のリューヴィルと話しているうちに、x+yを深く因数分解する方法を思いついたというのだ。
 この後、演壇にはコーシーが上がったのです。詳しくは明日にします。
さて、太郎さんの保護者懇談会は順調にいき、午後5時20分にクラス全員終了しました。最後の方は、喉がかれ枯れでして、辛かった。

N05:2000年12月20日(水)「フェルマーの最終定理」でn=5については、ディリクレが証明しましたが、この時代、もう一人忘れてはならない数学者が、ソフィ・ジェルマン(1776〜1831)という女性である。ガウスの『整数論』を読み、数論の魅力にとりつかれた彼女は、独自にこれを研究。ルブランという男性でガウスに研究成果を送っている。
 ガウスは絶賛した。このソフィの功績だが彼女は「フェルマーの最終定理」を2つの場合に分け、場合Tのとき、奇素数pが2p+1も素数であるような数があれば、「最終定理」が成り立つとした。なお場合Tとは、フェルマー方程式x+y=zにおいて、xyzがpで割り切れないという自然数x、y、zが存在しないときで、それ以外を場合Uとしている。
この後、詳しいことは書いてありません。続きは明日にします。太郎さんは、最近、事情があって、3台目のノートパソコンを購入しました。このパソコンも携帯電話をつないで、インターネットやメールの受発信が可能にしてあります。次ぎに、ディスクトップを最新のものにしたいと思っています。

N04:2000年12月19日(火)午後次のような「リンク依頼」のメールが京都府立綾部高等学校から来ていました。知らない間多くの高校生などに見てもらえることは大変幸せなことです。
【ホームページをリンクさせていただきますようお願いします。京都府立綾部高等学校教諭の・・と申します。
突然このようなメールを差し上げる非礼をお許しください。さて、本校のホームページに教育リンク集を作成し、教科学習や先生方に役立つホームページを掲載させていただいております。
あなた様のホームページを拝見させていただきまして、素晴らしいホームページと思いましたので、「教育リンク集」(高校向け教育リンク集の決定版の一つです。今後も掲載をお許しくださいますようよろしくお願いします。
なお、綾部高校の
「ホームページ」でご覧ください。】
さて、「フェルマーの最終定理」でn=5については、ディリクレが証明しました。ディリクレの業績としては、「算術数列の素数定理」があります。【自然数aとbが互いに素であるとき、{a+nb;n=1,2,3,・・・}の中には、無限の多くの素数が含まれる】というものです。
ディリクレの偉大な所は、数論の証明に解析学を用いたことにあります。解析学とは物体の運動などの連続量を扱う、それに対して、数論は整数や素数などの離散的な世界です。この2つの分野を関連づけ、橋渡しをしたのがディリクレと言えます。「フェルマーの最終定理」もこのように様々な数学の分野の複合で解かれたことになります。
 太郎さんの保護者懇談は今日で、半分終わりました。喉が痛くて枯れた声で行っています。精神的に疲れています。

N03:2000年12月18日(月)太郎さんは、今週午後から、保護者懇談がありまして、一日の終わりには疲れ果てています。したがって、本日は休刊日にします。

N02:2000年12月17日(日)午前中、第65回の応募問題「サイコロの積」「解答」を作成していました。
 また、「フェルマーの最終定理」でn=5について、ディリクレの証明を書きます。x+y=zに、xyz=0でない整数解があったと仮定すると、n=3の場合と同様に、a−5b=5乗数という形の式が整数解を持つことになる。ディリクレは、aが5で割り切れる場合と割り切れない場合に分けて証明した。
太郎さんは、この本にはこれだけしか書いていないので、博識のある皆さんにディリクレの証明過程をお聞きしたい心境です。

N01:2000年12月16日(土)「フェルマーの最終定理」の証明に貢献したのは、オイラーやガウスといった数学史に凛然とその名を残す学者ばかりでない。
指数が5のときの「最終定理」を証明したディリクレは、ドイツのアーヘンに生まれた。彼が数学の道に進んだのは、高等中学時代の教師の影響が大きい。そこの教師こそ、後に、「電気抵抗の法則」で有名なオームであった。オームの指導により、ディリクレは16歳で大学入学の資格をとり、パリに留学。21歳で「5次不定方程式の不可能について」という論文を書き上げた。これこそ「最終定理」の指数5のときの証明だった。
 以上、<参考文献:図解雑学フェルマーの最終定理(富永裕久著):ナツメ社>を読んで引用しました。

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